おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火を後に、
おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。
四行詩
「四行詩」は未刊詩篇で1937年9月30日頃の制作と言われている。
10月6日、中也は鎌倉養生院(現清川病院)に入院した。診断は脳腫瘍であった。
22日に中也はベッドで「おかあさん」と呼び、母フクの指をタバコを吸うときのように自分の指にはさんで二度吸い、「「僕は本当は孝行者だったんですよ」といい、「今に分るときが来ますよ」とつけ加え、数秒おいて「本当は孝行者だったんですよ」といった。最後の声は正気の声であった。」(中原思郎「死」より)
「おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火を後に、
おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。」
中也は10月23日午前0時10分永眠。最終的な病名は結核性脳膜炎であった。24日、寿福寺にて告別式。戒名は放光院賢空文心居士。遺骨は「骨」や「一つのメルヘン」で歌った吉敷川川畔の経塚墓地に葬られた。
ご感想
感想を書き込む