きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆のみの愁しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉めくままに静もりを保ち、
聊かは儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諫める
寒月の下を往きながら。
陽気で、坦々として、而も己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!
「寒い夜の自我像」は1929年4月の『白痴群』創刊号が初出である。中也は22歳で、前年5月小林秀雄は泰子の元を去り奈良へと出奔した。泰子は二度と中也と同居することはなかったが、中也の再求愛の作品はこの時から始まるのである。だから、「寒い夜の自我像」は最初恋愛詩であった。その一だけを独立させて作品としたのである。
「きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!」
と始まるこの詩は雑誌創刊の決意表明であった。その意味でもこれは述志の詩である。中也は「わが怠惰を諫め」、「而も己を賈らないことを」願うのである。
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