松の木に風が吹き、
踏む砂利の音は寂しかった。
暖い風が私の額を洗い
思いははるかに、なつかしかった。
腰をおろすと、
浪の音がひときわ聞えた。
星はなく
空は暗い綿だった。
とおりかかった小舟の中で
船頭がその女房に向って何かを云った。
――その言葉は、聞きとれなかった。
浪の音がひときわきこえた。
亡びたる過去のすべてに
涙湧く。
城の塀乾きたり
風の吹く
草靡く
丘を越え、野を渉り
憩いなき
白き天使のみえ来ずや
あわれわれ死なんと欲す、
あわれわれ生きんと欲す
あわれわれ、亡びたる過去のすべてに
涙湧く。
み空の方より、
風の吹く
「心象」は1929年11月『白痴群』第4号に発表された。
『白痴群』時代の中也の服装を詳しく伝えているのは安原喜弘である。
“その日彼は黒のルパシカに五尺に足らぬその体を包んで黒のお釜帽子をかぶり「スルヤ」の発表会の切符を持って私の前に現れた。”
この服装は、当時の彼の「制服」だったと安原は書いている。
「松の木に風が吹き、
踏む砂利の音は寂しかった
暖い風が私の額を洗い
思いははるかに、なつかしかった。」
この詩で最も印象深いのは次の2行である。
「あわれわれ死なんと欲す、
あわれわれ生きんと欲す」
死と生とはねじれた糸だ。生の欲求の過剰のただなかで、人は死を夢見ている。「魂の愉悦」から出発し、「生と歌」との一元化をのみ己れに課した中也の詩が、ときとして不吉な表情を見せるのはそのためだ。
ご感想
感想を書き込む