幼 年 時
私の上に降る雪は
真綿のようでありました
少 年 時
私の上に降る雪は
霙のようでありました
十七ーー十九
私の上に降る雪は
霰のように散りました
二十ーー二十二
私の上に降る雪は
雹であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝む頃
私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました
私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のようでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞潔でありました
「生い立ちの歌」は『山羊の歌』の「秋」の章に収録されている。1930年4月『白痴群』第6号が初出である。
詩Ⅰは2行1連で、24歳までが6連で構成されている。「生い立ち」のそれぞれを雪の姿で表現しているのである。幼年時は「真綿」、少年時は「霙」、十七~十九は「霰」、二十~二十二は「雹」、二十三は「吹雪」、そして二十四は「いとしめやかに」なるのである。詩人はこの時23歳だが数え年で書いている。
この間1923年3月山口中学を落第。4月京都の立命館中学に編入(数え年17歳)。1924年4月3歳年上の長谷川泰子と同棲(同18歳)。翌年3月泰子と共に上京。同じ年の11月泰子、小林秀雄の元へ去る(同19歳)。
1928年5月小林は泰子と別れ、奈良へ去る。この年中也は21歳(数え年22歳)である。この時から中也の再求愛の詩が始まる。吹雪を経て、「雪は花びらのように」なるのである。
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