月の光のそのことを、
盲目少女に教えたは、
ベートーべンか、シューバート?
俺の記憶の錯覚が、
今夜とちれているけれど、
ベトちゃんだとは思うけど、
シュバちゃんではなかったろうか?
霧の降ったる秋の夜に、
庭・石段に腰掛けて、
月の光を浴びながら、
二人、黙っていたけれど、
やがてピアノの部屋に入り、
泣かんばかりに弾き出した、
あれは、シュバちゃんではなかったろうか?
かすむ街の灯とおに見て、
ウィンの市の郊外に、
星も降るよなその夜さ一と夜、
虫、草叢にすだく頃、
教師の息子の十三番目、
頸の短いあの男、
盲目少女の手をとるように、
ピアノの上に勢い込んだ、
汗の出そうなその額、
安物くさいその眼鏡、
丸い背中もいじらしく
吐き出すように弾いたのは、
あれは、シュバちゃんではなかったろうか?
シュバちゃんかベトちゃんか、
そんなこと、いざ知らね、
今宵星降る東京の夜、
ビールのコップを傾けて、
月の光を見てあれば、
ベトちゃんもシュバちゃんも、はやとおに死に、
はやとおに死んだことさえ、
誰知ろうことわりもない……
「お道化うた」は、1936年3月『歴程』第2次創刊号に発表された。
「月の光のそのことを、
盲目少女に教えたは、
ベートーべンか、シューバート?」
と始まるこの詩は、ベートーベンと盲目の少女との出会いがピアノソナタ第13番「月光」を生んだという伝説によっている。
「かすむ街の灯とおに見て、
ウィンの市の郊外に、
星も降るよなその夜さ一と夜、」
と続いて舞台は東京の夜に移る。ビールのコップを傾けて。そして最後の3行で終わる。
中也の詩の中で「月の光」は死の光線として現われる。ここでも「ベトちゃんもシュバちゃんも、はやとおに死に」と死を表わしている。
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