天井に 朱きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶い
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦んじてし 人のこころを
諫めする なにものもなし。
樹脂の香に 朝は悩まし
うしないし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな
ひろごりて たいらかの空、
土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
「朝の歌」は、1928年5月『スルヤ』第2輯に歌詞として発表された。雑誌発表は、1929年『生活者』10月号である。5月と言えば、父謙助が51歳で死去した時である。中也は喪主であったが、母フクの意向に従い葬儀に出席しなかった。
中也は「詩的履歴書」に書いている。
……5月、「朝の歌」を書く。7月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最初。つまり、「朝の歌」にてほぼ方針立つ。方針は立ったが、たった十四行書くために、こんなに手数がかかるのではとガッカリす。
この詩は4行4行3行3行のソネット形式で「なにごともなし」「なにものもなし」という否定のリフレインが、読む者の心の空洞に木霊する。空虚な心を抱いて目覚めた詩人の思いは、天井から洩れる光に乗って森を越え、土手伝いに「はなだ色」の空へと昇っていくのである。
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