夜、うつくしい魂は涕いて、
――かの女こそ正当なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
もう死んだっていいよう……というのであった。
湿った野原の黒い土、短い草の上を
夜風は吹いて、
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
うつくしい魂は涕くのであった。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……
「妹よ」は、1930年4月『白痴群』第6号に発表された。『白痴群』はこの6号をもって廃刊した。中也は沈滞期に入った。
「妹よ」のモチーフは、宮沢賢治が妹とし子(本名はトシ)の死を契機として制作した詩篇群にあったことは疑いがない。
「夜、うつくしい魂は涕いて、
――かの女こそ正當なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
もう死んだっていいよう……というのであつた。」
とし子の東北弁の「死んでもいいはんて」のリフレインが、そのまま「死んだっていいよう」の標準語のリフレインへと置換されたことで「妹よ」は成った。つまり、賢治の妹とし子への鎮魂歌群の反歌として「妹よ」は誕生したのだ。
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