今晩ああして元気に語り合っている人々も、
実は、元気ではないのです。
近代という今は尠くも、
あんな具合な元気さで
いられる時代ではないのです。
諸君は僕を、「ほがらか」でないという。
しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。
ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでしょう?
されば今晩かなしげに、こうして沈んでいる僕が、
輝き出でる時もある。
さて、輝き出でるや、諸君は云います、
「あれでああなのかねえ、
不思議みたいなもんだねえ」。
が、冗談じゃない、
僕は僕が輝けるように生きていた。
「酒場にて」は1936年10月1日の制作である。この頃中也は親戚の中原岩三郎の斡旋で、日本放送協会の面接を受けたが、中也には入社の意志はなかった。11月10日、長男文也が死去する。死因は小児結核であった。その1ヶ月程前の作品である。
この詩は、4日後に書かれた評論「詩と現代」と発想上繋がっている。この文章の最後に、中也は「自己以外のものと争うことは修辞を作り、自己と争うことは詩を作る」というイエーツの1行を引いている。
「酒場にて」の最後の1句もまたこれに重なるのだ。「が、冗談じゃない、/僕は僕が輝けるように生きていた。」と。
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