ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて いたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。
手繰り 下ろさうと 僕は したが、
綱も なければ それも 叶わず、
旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処に 舞い入る 如く。
かかる 朝を 少年の 日も、
屡々 見たりと 僕は 憶う。
かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍の 上に。
かの時 この時 時は 隔つれ、
此処と 彼処と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝らぬ かの 黒旗よ。
「曇天」は、1936年『改造』7月号に発表された。この詩は、二・二六事件の青年将校達の処刑とそれに続く軍靴の響きにつながる作品だ。「黒」は喪と殺戮の象徴である。
「かかる 朝を 少年の 日も、/屢々 見たりと 僕は 憶う。」とあるように、中也にとっての「黒旗」の記憶は、1912年7月、明治天皇崩御の時まで遡る。中也5歳の夏、広島市鉄砲町時代である。そして、今「都会の 甍の 上に」はためくのは、戒厳令下の黒旗ではあるまいか。
岩野泡鳴ばりの一字空けの頻出が、黒旗の翻る不吉さを視覚的にも定着している。戒厳令下の帝都の空気を、中也もまた呼吸していた一人だった。
「かの時 この時 時は 隔つれ、
此処と 彼処と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝らぬ かの 黒旗よ。」
ご感想
感想を書き込む