僕には僕の狂気がある
僕の狂気は蒼ざめて硬くなる
かの馬の静脈などを想わせる
僕にも僕の狂気がある
それは張子のように硬いがまた
張子のように破けはしない
それは不死身の弾力に充ち
それはひょっとしたなら乾蚫であるかも知れない
それを小刀で削って薄っぺらにして
さて口に入れたって唾液に反発するかも知れない
唾液には混らぬものを
恰かも唾液に混ざるような恰好をして
ぐっと嚥み込まなければならないのかも知れない
ぐっと嚥み込んで、扨それがどんな不協和音を奏でるかは、僕が知る
1932年9月末頃から年の暮にかけて、中也の「魂の動乱」が始まった。当時親しかった安原喜弘は、1936年末から翌年春までの長男文也の死による幻聴、幻覚を伴った神経衰弱よりこの折の「動乱」ははるかに激しかったと述べている。
それを救ったのは遠縁の上野孝子との結婚であった。弟思郎は中也の結婚は七不思議だという。中也は結婚に対して極めて素直だったらしい。
「僕には僕の狂気がある」という1行で始まるこの詩は、この「動乱」の時期を思い起こしている。「幻想と被害妄想と強迫観念」……、酔うと荒れ、誰彼となく激しく衝突した。
『山羊の歌』本文の印刷がほぼ一段落した頃から、中也は精神の安定を崩していった。おそらく詩集の出版が思うにまかせなくなった事と関係が深いと思われる。
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