私は随分苦労して来た。
それがどうした苦労であったか、
語ろうなぞとはつゆさえ思わぬ。
またその苦労が果して価値の
あったものかなかったものか、
そんなことなぞ考えてもみぬ。
とにかく私は苦労して来た。
苦労して来たことであった!
そして、今、此処、机の前の、
自分を見出すばっかりだ。
じっと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。
外では今宵、木の葉がそよぐ。
はるかな気持の、春の宵だ。
そして私は、静かに死ぬる、
坐ったまんまで、死んでゆくのだ。
「わが半生」の初出は1936年『四季』7月号である。その年の春中也は文也を連れて動物園に行っている。6月、『ランボオ詩抄』を山本書店より刊行した。
この詩は中也が自分の「死」を歌ったものだ。文也との親和力に満たされた生活の中で中也はなぜ「死」を歌ったのか。中也が「死」を歌うのは1934年4月の「骨」に始まっている。しかし「骨」には自身の骨を笑う魂の平安さとユーモアがあった。「私は随分苦労して来た。」と書き出されるこの詩では、中也は机の前に自分を見出すばかりだ。
「外では今宵、木の葉がそよぐ。
はるかな気持の、春の宵だ。
そして私は、静かに死ぬる、
座ったまんまで、死んでゆくのだ。」
ご感想
感想を書き込む