桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ鳴いていた
夜更の駅には駅長が
綺麗な砂利を敷き詰めた
プラットホームに只独り
ランプを持って立っていた
桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ泣いていた
焼蛤貝の桑名とは
此処のことかと思ったから
駅長さんに訊ねたら
そうだと云って笑ってた
桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ鳴いていた
大雨の、霽ったばかりのその夜は
風もなければ暗かった
「桑名の驛」は未発表詩篇で、制作は1935年8月12日である。現在桑名の駅には、この詩の石碑が立っている。
6月の末に帰省した中也は、8月11日妻子と共に帰京する。この時関西水害のため、列車は関西線を廻り、桑名に長時間停車した。
「桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ鳴いていた
夜更の駅には駅長が
綺麗な砂利を敷き詰めた
プラットホームに只独り
ランプを持って立っていた」
中也はプラットホームに降り砂利を踏んで歩いた。「焼蛤貝の桑名とは/此処のことかと思ったから/駅長さんに訊ねたら/そうだと云って笑ってた」……これは事実であろう。
生後10ヶ月の愛児文也のはじめての汽車の旅でもあり、中也にとって印象深い一夜であったにちがいない。この夜から、中也にとって蛙の声は、文也への思いと分かち難いものとなったのではなかろうか。『在りし日の歌』の末尾の詩は、「蛙声」である。
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