ホラホラ、これが僕の骨 中原中也ベスト詩集

春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰があおざめて
春の日の夕暮は静かです

ああ! 案山子かかしはないか――あるまい
いななくか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍がらんは紅く
荷馬車の車輪 油を失い
私が歴史的現在に物をえば
あざける嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
みずからの 静脈管の中へです

『山羊の歌』より

朗 読

解 説

春の日の夕暮

「春の日の夕暮」は1933年『半仙戯』6月号に発表された。
『半仙戯』は、石川道雄が発行していた同人誌で、創刊メンバーは、高橋新吉、中原中也、高森文夫等である。石川道雄は、ホフマン『黄金宝壺』で知られていて、日夏耿之介に師事、当時府立高等学校(現在の都立大)のドイツ語教授であった。
中也を『半仙戯』に誘ったのは、高森文夫であったろう。以後中也の主要な発表媒体の一つとなる。
 
この詩はダの影響がまだ残っている。

 「トタンがセンベイ食べて
  春の日の夕暮は穏かです
  アンダースローされた灰が蒼ざめて
  春の日の夕暮は静かです」

そして、この詩はゆったりと進み「無言ながら、前進します/みずからの 静脈管の中へです」と終わるのである。

※「ダダイズム」(ダダ)は、第一次大戦中、トリスタン・ツァラによって提唱された芸術上のアナーキズムで、過去の芸術上の価値と形式の一切を否定し、戦争に対する人々の危機意識を、言葉の秩序の崩壊として提示した。日本の詩壇にダダイズムの一大旋風が渦巻いたのは、1923年から1926年前期。中也も高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』に大きな影響を受け、一時期はダダイストを自称していた。

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