長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。
「冬の長門峡」は、草稿として1936年12月24日に書かれ、1937年『文学界』4月号に発表された。
12月24日頃と言えば、中也が文也の49日近くに「文也の一生」を書いた時である。その同じ筆で書いた作品が「冬の長門峡」である。
「長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。」
長門峡は、中也の郷里にある峡谷である。
「水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても蜜柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。」
これは中也が長門峡を訪れた時の記憶であろう。
ここでは、長門峡の水は、中也の心象として流れている。流れているのは、水ではなく「在りし日」という「時間」なのだと言ってみてもよいのだが、長門峡の水も、「蜜柑の如き夕陽」も、「在りし日」をいう意識の過剰によって凍りついたままだ。
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