血を吐くような 倦うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆけさ
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎ゆる、地は睡る
血を吐くようなせつなさに。
嵐のような心の歴史は
終焉ってしまったもののように
そこから繰れる一つの緒もないもののように
燃ゆる日の彼方に睡る。
私は残る、亡骸として――
血を吐くようなせつなさかなしさ。
「夏」の初出は、1929年9月『白痴群』第3号である。中也は7月、彫刻家高田博厚を知り、中高井戸の高田のアトリエ近くに転居する。これぞという人物を知るとその人の近くに引越すというのが中也流の交際術である。高田の紹介で『生活者』9月号に「月」他6編、続いて10月号に「無題」(後、「サーカス」と改題)他5編を掲載。これらのほとんどは『山羊の歌』に収録する。
「血を吐くような 倦うさ、たゆけさ」と始まる「夏」は灼熱の太陽が燃え、麦畑に光が満ちている。この作品は、「血を吐くような」という形容が四度現われる。「空は燃え」「眩しく光り」「陽は炎ゆる」夏、「私は残る、亡骸として――」と結ばれている。
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