生きのこるものはずうずうしく、
死にゆくものはその清純さを漂わせ
物云いたげな瞳を床にさまよわすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであったもののように死んでゆく。
さて、今日はよいお天気です。
街の片側は翳り、片側は日射しをうけて、あったかい
けざやかにもわびしい秋の午前です。
空は昨日までの雨に拭われて、すがすがしく、
それは海の方まで続いていることが分ります。
その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはや此の世のことを考えず、
さりとて死んでいったもののことも考えてはいないのです。
みたばかりの死に茫然として、
卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いていたと告白せねばなりません。
「死別の翌日」は未刊詩篇で、弟恰三が9月26日に他界しているからその直後ではないだろうか。つまり1931年9月である。10月9日に中也は、「疲れやつれた美しい顔」と「死別の翌日」を清書して、安原喜弘に送っている。
「生きのこるものはずうずうしく、
死にゆくものはその清純さを漂わせ」
と始まるこの詩は、死者との別れを歌っている。「最初から独りであったもののように死んでゆく。」と。けれども2連目からは調子を変えて今日の天候に触れている。「わびしい秋の午前です」と。次に3連目では、
「みたばかりの死に茫然として、
卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いていたと告白せねばなりません。」
再び死別の翌日の自分の感情を告白しているのである。中也が訃報を受け取ったのは、友人と豪徳寺のカフェで飲んで帰宅した直後だった。
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