こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら
私は私のけがらわしさを歎いている。そして
正体もなく、今茲に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといって正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂い廻る。
人の気持をみようとするようなことはついになく、
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに
私は頑なで、子供のように我儘だった!
目が覚めて、宿酔の厭うべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら
私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自ら信ずる!
彼女の心は真っ直い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲んでも
もらえない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真っ直いそしてぐらつかない。
彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きている。
あまりにわいだめもない世の渦のために、
折に心が弱り、弱々しく躁ぎはするが、
而もなお、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!
甞て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめていたかは!
しかしいまではもう諦めてしまってさえいる。
我利々々で、幼稚な、獣や子供にしか、
彼女は出遇わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、
唯、人という人が、みんなやくざなんだと思っている。
そして少しはいじけている。彼女は可哀想だ!
かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがえば
なが心、かたくなにしてあらしめな。
かたくなにしてあるときは、心に眼
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索む
わが世のさまのかなしさや、
おのが心におのがじし湧きくるおもいもたずして、
人に勝らん心のみいそがわしき
熱を病む風景ばかりかなしきはなし。
私はおまえのことを思っているよ。
いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸っているよ、
まるで自分を罪人ででもあるように感じて。
私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
いろんなことが考えられもするが、考えられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。
またそうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
そうすることは、私に幸福なんだ。
幸福なんだ、世の煩いのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまえに尽せるんだから幸福だ!
幸福は厩の中にいる
藁の上に。
幸福は
和める心には一挙にして分る。
頑なの心は、不幸でいらいらして、
せめてめまぐるしいものや
数々のものに心を紛らす。
そして益々不幸だ。
幸福は、休んでいる
そして明らかになすべきことを
少しずつ持ち、
幸福は、理解に富んでいる。
頑なの心は、理解に欠けて、
なすべきをしらず、ただ利に走り、
意気消沈して、怒りやすく、
人に嫌われて、自らも悲しい。
されば人よ、つねにまず従わんとせよ。
従いて、迎えられんとには非ず、
従うことのみ学びとなるべく、学びて
汝が品格を高め、そが働きの裕かとならんため!
「無題」は、1929年4月『白痴群』創刊号が初出である。この4月中旬、渋谷百軒店で飲食後、帰宅途中で民家の軒灯のガラスを割り、渋谷警察署の留置所に15日間拘留された。この経験が中也に警察を恐れさせた。
この詩はⅠからⅤまでの長編詩で、Ⅴだけに幸福というタイトルがついている。
「こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、/私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、/酒をのみ、弱い人に毒づいた。」そして「今朝はもはや私がくだらない奴だと、自ら信ずる!」でⅠは終わっている。
Ⅱは彼女が主人公で「彼女は美しい、そして賢い!」とたたえている。この詩の中心はⅤで「幸福は厩の中にいる/藁の上に。」と始まり、「汝が品格を高め、そが働きの裕かとならんため!」と結ばれている。「厩」は「聖書」によっている。
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