夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちょと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に余と坊やとはいぬ
二人蹲んでいぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ
三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりきかなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや
広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや
その日博覧会に入りしばかりの刻は
なお明るく、昼の明ありぬ、
われら三人飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ
飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ
夕空は、紺青の色なりき
燈光は、貝釦の色なりき
その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」は1936年12月24日制作で、未刊詩篇である。この詩は11月10日満2歳で死去した長男文也の想い出を歌ったものである。12月15日には次男愛雅が生まれている。
「夏の夜の、博覧会は、哀しからずや」と始まるこの詩は「哀しからずや」が繰り返しリフレインとして現われる。
1は博覧会を出て不忍ノ池を通り広小路に出て兎の玩具を買うところで終わる。2は博覧会場で廻旋する飛行機に乗る。その時「夕空は、紺青の色」、「燈光は、貝釦の色」。この貝釦が「月夜の浜辺」の月の光に照らされた釦の色なのだ。
「その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を」
二つの詩は、貝釦と文也の死によってつながっている。
ご感想
感想を書き込む