秋空は鈍色にして
黒馬の瞳のひかり
水涸れて落つる百合花
ああ こころうつろなるかな
神もなくしるべもなくて
窓近く婦の逝きぬ
白き空盲いてありて
白き風冷たくありぬ
窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
朝の日は澪れてありぬ
水の音したたりていぬ
町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?
「臨終」は1928年5月4日『スルヤ』第2輯に「朝の歌」と共に発表された。父謙助は病床でこの詩を読み、涙を流したといわれる。父は5月16日に他界しているから、まさに死の床に届いた長子の詩である。
「町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?」
売笑婦の死に託して自身の一季節の挽歌とした「臨終」は、父には息子から贈られた自分自身への挽歌のように思えたであろう。享年52歳、病名は胃癌であった。父は自分で脈をとりながら死んだと弟呉郎は伝えている。この時、中也は父の葬儀には出席できないと電報を打ったが、実は母フクと祖母フデが、中也の長髪を嫌って出席させなかったのである。
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