秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで硅石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
「一つのメルヘン」は、1936年『文芸汎論』11月号に発表された。11月10日、長男文也が小児結核で死去した。
中也の「最も美しい遺品」と小林秀雄が呼んだ「一つのメルヘン」は、1936年9月頃の作である。1931年9月26日に19歳で死んだ弟恰三を鎮魂した詩である。この詩に現われる光景が、私にはどうしても「秋岸清凉」という戒名の映像化のように思えてならない。なぜなら「秋の夜」なのに「陽がさらさらと射している」からである。
この詩の舞台は中原家の墓がある経塚墓地のそばを流れる吉敷川だと言われている。この川は川床が砂地のため水が伏流することから水無川の異名がある。けれどもこの詩で流れる水は、やはり地上のものではない。
そこで思い浮かぶのは、宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』を読んだ後で作られたという事実である。
で、私は思うのだ。中也は自分の愛しい死者を鎮魂するために、もう一つの銀河を創出しようとしたのかもしれないと。
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