ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨の尖。
それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑しい。
ホラホラ、これが僕の骨――
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処にやって来て、
見ているのかしら?
故郷の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立って、
見ているのは、――僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。
「骨」は1934年『紀元』6月号に発表された。制作は4月28日である。中也が己自身の死後を歌った最初である。「ホラホラ、これが僕の骨だ」と。
「故郷の小川のへりに」、枯れ草に囲まれて立つ「立札ほどの高さ」の自分の白骨を、霊魂となった詩人が、中空に漂いながら見下ろしているのである。「故郷の小川」とは、中原家累代の墓がある経塚墓地脇を流れる吉敷川であろう。川床の砂地の下を水が伏流することから「水無川」の異名を持つ小川だ。ここには骨を歌いながら暗い響きはない。この詩を支配しているのは、むしろ晴朗な透明さのようなものだ。
小林秀雄は『文学界』8月号に「中原中也の『骨』」と題した次の様なエッセイを発表した。
「心理映像の複雑な組合せや、色の強い形容詞や、個性的な感覚的な言葉の巧な使用や、捕え難いものに狙いをつけようとする努力や、等々、そんなものを捨ててしまってやっぱり骨があった様に歌が残ったという様な詩である。」
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