いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性
はじめに
いわき病院と渡邊朋之医師は野津純一氏の病状悪化と殺人事件行為を予見して回避しなかったことに関して過失責任がある。また合わせて、いわき病院と渡邊朋之医師は矢野真木人に対しても殺人事件の発生を予見して未然に回避しなかったことに関して過失責任がある。ところが、法律家から「いわき病院と渡邊朋之医師の野津純一氏に対する過失責任は確定的である。他方、野津純一氏を経た矢野真木人殺人事件に関して、相当因果関係と高度の蓋然性のこれまでに行った証明では不十分と判断される可能性があり、高裁判決で勝訴することは、現時点では困難かも知れない」と指摘された。
いわき病院代理人が主張した、(いわき病院医療と矢野真木人殺人を結ぶ)「相当因果関係と高度の蓋然性の論理」は非科学的で間違った論理である。また殺人事件を含む重大な他害行為の発生を容認した非人道的な主張で、最高裁が北陽病院事件判決で既に棄却した論理である。「相当因果関係と高度の蓋然性」は難しい論理ではない。「普通の常識を持った人間であれば誰もが納得して同意する原因と結果を結ぶ論理と道理」である。
心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(心神喪失者等医療観察法)は心神喪失又は心神耗弱の状態(精神障害のために善悪の区別がつかないなど、刑事責任を問えない状態)で、重大な他害行為(殺人、放火、強盗、強姦、強制わいせつ、傷害)を行った人に対して、適切な医療を提供し、社会復帰を促進することを目的とした制度である。しかし、この法律では「心神喪失又は心神耗弱の状態(精神障害のために善悪の区別がつかないなど、刑事責任を問えない状態)」が〔心神喪失者等〕として現実には〔心神喪失〕では無いにもかかわらず幅広く認定される傾向がある。心神喪失で無い人間にも幅広く「心神喪失者等」を認定する事は、法的権利の否定でもあり、普遍的な人権を擁護して保全することにはならない。
殺人事件の被害者は最大の人権侵害被害者であるが、被害者本人自身が死亡しており事件事実を知る手段が限られる。事件が心神喪失者等医療観察法の手続きに乗せられると、被害者遺族といえども事件事実を知ることが不可能となる。このため、民事裁判を希望しても、法廷審議に必要な証拠を入手する事が不可能となる。少なくとも殺人事件被害者に対しては、心神喪失者等医療観察法は事件事実の隠蔽を幇助している。そして、人命が失われたにもかかわらず、犯人に責任を問わず、殺人事件当時に医療を行っていた精神科医療機関の医療事実関係を確認することを行わない社会慣行が法治社会であるはずの日本で形成されている。
いわき病院代理人の主張は精神科医療機関に過失責任を問わないことを当然の前提としている。しかしいわき病院と渡邊朋之医師が野津純一氏に行った医療で判明した事実は、不正確で錯誤した医療知識、薬剤添付文書を理解しない薬剤処方、そして経過観察を行わない怠慢である。これは「適切な医療」と言えるものではない。心神喪失者等医療観察法には「適切な医療を提供し、社会復帰を促進することを目的とした制度」という大義名分がある。ところが、いわき病院では「精神障害者の野津純一氏に適切な医療を提供していない」事実が判明した。また、「野津純一氏の社会復帰を促進する」名目で、野津純一氏の放火暴行歴を聞いても聞かないことにして無視し、知らないから責任が無いとする、子供の論理の、精神科開放医療であった。
精神障害者の社会復帰を促進する医療は、治療放棄して何もしない、ほったらかしの医療ではない。心神喪失者等医療観察法の下では精神科医療機関が責任を問われる事態になる事は極めて限られている。このため、責任感が欠如した医療の存在を許している可能性がある。いわき病院と渡邊朋之医師のような医療対応が行われるならば、日本では精神障害者の治療は促進されず、精神障害者に「適切な医療は提供されない」。また適切な医療が約束されなければ、地域住民の理解が得られず精神障害者の「社会復帰は促進されない」。いわき病院と渡邊朋之医師はその冷酷な現実を示している。
控訴人矢野が控訴人野津に協力を求めて起こした本件裁判は、本当の意味で、精神障害者に「適切な医療を提供し、社会復帰を促進すること」を目的としている。更に、精神障害者の社会復帰の究極の目的が一市民としての社会参加であることを考えれば、市民に生命の犠牲があっても問題の解明を困難にする制度およびその運用は、本末転倒である。控訴人矢野は人権の普遍性を課題として、本件裁判に臨んでいる。
控訴人矢野は、いわき病院と渡邊朋之医師が矢野真木人の命を奪った責任を曖昧にすることを許さない。このため、いわき病院と渡邊朋之医師の精神科医療と矢野真木人殺人を結ぶ「相当因果関係と高度の蓋然性」に関して意見を提出する。控訴人矢野は普通の人間が合理的に納得する常識を尊重する。
いわき病院は精神薬理学の論争を新たに展開することを考えているようである。精神薬理学の大学教授の鑑定意見書を提出すると宣言した。問題の本質はパキシル(抗うつ薬SSRI)の薬剤添付文書の「重要な基本的注意」に従わずに漫然とパキシルを突然中止してその後で経過観察をしなかったことである。その問題をSSRI一般の薬理作用と使用法の注意事項に転換して、いわき病院に過失性が無いことを証明する意図があると推察される。また野津純一氏は20年以上継続した慢性統合失調症患者で、放火暴行履歴があり、直前にも暴行行為を繰り返した事実があり、複数回の再発エピソードを持つ患者に抗精神病薬(プロピタン)の維持療法を行わず投薬を中止したが、この統合失調症治療ガイドラインに逸脱した薬事処方を、プロピタン単独の薬理効果の問題として議論しようとする意図が見えている。精神薬理学の大学教授であれば、学問的な業績は優れていると確信する。しかしながら、本件は一般論ではなく、いわき病院が野津純一氏に対しして行った個別事例に過失性が問われている。またその本質は経過観察を行わなかった治療放棄であり、医師の裁量権を云々できる問題ではない。過失の本質はメディカルモデルの外にある。新たに火中の栗を拾うことになる、精神薬理学の大学教授がどのように答えるか興味を持っている。
目次 (下線部分をクリックすると各ページへジャンプします)
- 因果関係の論理
- 相当因果関係の証明
- いわき病院医療の相当因果関係
- 事件に関する事実関係
- 事件を遡り因果関係を探る
- 渡邊朋之医師の位置から事件を再考する
- 因果関係を構成した要素
- 野津純一氏の放火暴行
- 精神科医療の放火暴行歴は犯罪記録に基づく?
- 精神科医療と危機管理
- いわき病院の精神科開放医療
- 渡邊朋之医師の問題
- 渡邊朋之医師は医療者として不見識
- 渡邊朋之医師の錯誤
- 精神保健指定医としての責任
- 静岡養心荘患者による看護師殺人(静岡養心荘)事件
- 岩手北陽病院事件
- 東京拘置所MN被告自殺事件
- 市民として精神科医療裁判を行う
- 北陽病院事件概要と本件裁判の参考となる理由
- 最高裁の北陽病院判決
- 最高裁判決を密かに否定したいわき病院
- 精神科開放医療と他害の危険性の予見性
- 精神科医療の健全さを損なう恫喝の主張
- いわき病院の過剰な「高度の蓋然性」の論理
【参考1】北陽病院といわき病院の主張
【参考2】いわき病院の主張(第1準備書面)の論点
- 精神科病院の過失免責論
- 措置入院と任意入院及び病院の責任
- いわき病院の法的責任
- 精神科開放医療の論理と倫理
- 精神科開放医療と過失責任
- 野津純一氏の社会参加
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