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いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性


平成26年5月7日
矢野啓司・矢野千恵
inglecalder@gmail.com


7、賠償請求が認められた判例と高度の因果関係

(2)、岩手北陽病院事件

平成8年9月3日 最高裁判所第3小法廷判決、平成6年(オ)第1130号
  平成6年2月24日 東京高等裁判所判決、 平成5年(ネ)第2430号
  平成4年6月18日 横浜地裁判決、平成1年(ワ)第676号


(1)、事件事実の概要

岩手県内の県立精神病院である北陽病院に措置入院中の精神分裂病患者が、作業療法の一環として実施された院外散歩中に無断離院をし、岩手県から500キロ離れた横浜市に移動して4日後(昭和61年4月23日)に金員強取の目的で通行人(通勤途上の県警交通規制課長)を殺害したことについて、病院長は、無断離院のおそれのある患者に院外散歩を含む作業療法を実施するに付いての特別の看護体制を定めず、担当医師も、院外散歩に参加させるに当たり、引率する看護師らに何ら特別な指示を与えず、引率した看護師らも、院外散歩中に格別の注意を払わなかったなど判示の事実関係の下においては、院長、担当医師、看護師らに甲が無断離院をして他人に危害を及ぼすことを防止すべき注意義務を尽くさなかった過失が認定された。


(2)、判決で過失を認めた相当因果関係の論理

北陽病院はいわき病院のように治療ミスがあったわけでもない。列から離れて、路上駐車の車を奪い逃げてしまって追いかけられなかった無断離院を防ぐ計画を持たず許してしまったことで、通り魔殺人が発生したことに対する責任の損害賠償が確定した。

北陽病院判決は、相当因果関係の証明で現実性がない非常識な要求を行わず、常識的な認識で北陽病院の過失責任を認めた。しかしながら、いわき病院に対する控訴審では、被控訴人側から、合理性が乏しい、極めて頑迷な主張が行われている。


(3)、岩手北陽病院事件における高度の因果関係

  1. 北陽病院事件では、通り魔殺人の被害者が事件に遭遇せず生存する可能性の証明を求めていない。(高松地裁判決(P.46〜47)では、被告以和貴会及び被告渡邊の主張として、矢野真木人が生き残る確率が80%であることを証明する事を求めた。)
  2. 北陽病院事件では、無断離院中の精神障害者に十中八九の殺人危険率の証明という「高度の蓋然性」の論理を持ちだして、相当因果関係を証明するための前提条件と要求していない。
  3. 北陽病院事件では、患者が行う可能性がある予見可能な危険性の認識を病院が持つことが当然との論理で病院側に過失責任を認めた。

北陽病院事件で病院は、「犯人に懲役13年の有期刑が確定したので犯人の行為は自由意思である」、「岩手から横浜まで500キロ移動して4日後の変更である」など、病院側に過失責任が無い理由を述べたにもかかわらず、最高裁で過失認定が支持された。いわき病院事件では、犯人に懲役25年が確定したが、病院直近の場所における病院から許可外出直後(14分後)の犯行である。

北陽病院事件の犯人は措置入院患者であり、無断離院の試みや、他害行為を行う可能性などに関して病院内で発言や行動を起こした事実があり、他害行為に関して日常的に予見する事が病院に課せられた義務であったことは確かである。他方いわき病院の野津純一氏は任意入院患者であったが、主治医は、11月23日から慢性統合失調症の治療を中断する抗精神病薬(プロピタン)の中止及び当時でも突然の中止は避けるよう重要な基本的注意で指摘されていたパキシル(抗うつ薬)を突然中止した処方変更を行っており、特に慎重に経過観察を行うべき時期の殺人犯罪である。いわき病院は任意入院を無過失の理由とするが、主治医と病院の義務違反は北陽病院と同等である。北陽病院事件における病院の過失と発生した殺人事件の被害者に対する責任は、常識論に基づいている。


(4)、警察と病院の争いである

本件は亡き警察官の遺族と岩手県立北陽病院の間の民事訴訟であるが、実質は神奈川県警本部と岩手県健康福祉部の争いである。被害者は県警本部に通勤途上の総務省から神奈川県警交通規制課長として派遣されたエリート公務員であった。このため、犯人の状況と事件事実の確認は組織的かつ体系的に行われたはずである。一般の市民が精神科病院の不始末を訴えるよりは、遙かに容易であり、かつ専門的で組織的な事実解明が可能であった背景が窺われる。なお、病院に過失責任を認めた論理には普遍性がある。



   
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