いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性
【後記】
(2)、野津純一氏の社会参加
野津純一氏がいわき病院に入院して渡辺朋之医師から治療を受けていた平成17年当時に野津純一氏には社会参加を行える可能性は確かにあったと思われる。
渡辺朋之医師は、平成17年11月23日から抗精神病薬(プロピタン)とパキシル(抗うつ薬)を同時に突然中止したが、主治医として経過観察をせず、野津純一氏はアカシジアで苦しむままに放置されて、いわき病院は精神症状の悪化に伴う結果予見性と結果回避可能性を持つことなく、徒に通り魔殺人事件を発生させた。いわき病院ではアカシジアは治療困難だったが、平成22年1月に行われた北九州医療刑務所における移動法廷に出頭した野津純一氏は事件から4年2か月であったが、イライラやムズムズ及び手足の振戦を否定し「身体に震えがあるとすれば、寒さからだ」と述べた。すなわち、適切な治療を行えば、野津純一氏のアカシジアはコントロール可能であった。いわき病院は精神科専門病院であり、当然のこととして、治療可能であったはずである。野津純一氏が社会生活を開始することは不可能ではなかった。
渡辺朋之医師は患者野津純一氏に対して抗精神病薬(プロピタン)を中止したが、野津純一氏は10代後半から継続した慢性統合失調症の患者であり、抗精神病薬を中止することは適切ではない。むしろ平成17年2月14日に渡辺朋之医師が主治医を交代したときに「Stable」な状態を維持していたリスパダールなどの第2世代・非定型抗精神病薬を、大量投与でなく適切な量を維持量として投与する処方を見つけて病状の安定化を促進する必要があった。渡辺朋之医師はリスパダールを好まずトロペロンを処方して野津純一氏の病状を急速に悪化させたが、SZ医師が助け船を出してリスパダールを復活処方して、野津純一氏の病状を再度安定化させた経過がある。更に、リスパダールに関して渡辺朋之医師は平成17年7月25日に野津純一氏の求めに従って投薬を再開したが、病状が改善しない、として28日で中止したが、このときは「コントミン+プロピタン」の処方にリスパダールを追加しており、抗精神病薬の過剰投与であった。このようなリスパダール処方を否定することが目的であったと推察される懲罰的な処方を行わなければ、リスパダールに限定しなくても、野津純一氏に合った適切な抗精神病薬の処方を見つけることは可能であった。渡辺朋之医師は、トロペロン処方でも薬剤添付文書をまじめに読まず、抗精神病薬の知識には問題があった。
渡辺朋之医師はパキシルを突然中止したが、野津純一氏に処方していたパキシルも時間をかけて段階的に処方量を削減してゆけば安全に処方中止可能であった。いわき病院にあっても、野津純一氏がアカシジアで苦しむことを抑制した状況を作り出して、統合失調症の症状が安定した病状を確保することは十分に可能であったと推察される。
いわき病院に入院していた当時の野津純一氏の様子から推察できる野津純一氏の社会参加の態様は、独立して炊事洗濯を自ら行う生活ではないと考えられる。中間施設などの生活を行い両親の世話から独立することは可能であるとしても、食事の提供と身の回りの介助は必須であると思われる。そのような共同生活で、気が向けば町に出る散歩を行い、テレビやラジオを楽しむ生活を安定して行うことは可能であろう。本人には結婚と独立願望があるが、女性に対する包容力や家庭生活を維持する資質と能力に不足があるため、実現は極めて困難である。また仕事を持ち定収入を得ることに関しても社会生活の技量を有しておらず、そのような高望みをしないことが、心神が安定した生活を維持する条件となるであろう。
野津純一氏は「再発時に突然一大事が起こった」と説明するなど、抗精神病薬の中止と病状の再発と悪化には強い関心を有し、服薬態度が良い患者である。これは野津純一氏が社会参加を維持していく上で重要な要素である。このため抗精神病薬の血中濃度を常に維持する治療を行い、また万一の病状の再発に備えて、いつでも通院と治療が可能な施設で生活を維持することが期待される。
野津純一氏は放火暴行歴を有した統合失調症患者であり、特に他害行動に関しては比較的高い頻度の行動履歴を有しており、この点では極めて慎重な観察と即応性がある対応可能な状態を維持する必要がある。本人も「再発時の一大事」と認識しており、治療者・看護者と本人の間で、「再発時」の状況や情報を確認できるシステム作りが必要である。このように、慎重に行うべきであるが、野津純一氏の社会生活を維持することは十分に可能であったと思われる。
野津純一氏は他人との交流は得意ではない。個人として相互に独立した意識と認識を有しかつ尊重して、他人に対する関心を維持することはあまり得意ではないようである。しかしながら、社会から排除されなければ、気ままで善良な態度を維持することは可能である。そのような気ままな社会参加を本人は望んでいたのではないかと、思われる。
いわき病院が精神科開放医療を積極的に導入しているのであれば、患者に対する治療責任を全うして、患者の病状や個性に対応した看護やリハビリテーションを行う必要があった。野津純一氏はそのような治療に対応して効果を上げることが不可能な患者ではなかった。平成17年12月6日に殺人事件を発生することもなかった。
いわき病院の無責任な精神医療の直接的な犠牲者は野津純一氏である。矢野真木人はいわき病院と渡辺朋之医師が、野津純一氏に主治医として実行した複数の向精神薬の同時突然中止に基づいて、原因者として予見可能でありかつ予見義務がある、野津純一氏が他害行為を行う可能性を予見せず、結果回避可能性があったにも関わらず結果を予見せず、重大な処方変更後に経過観察を適切に行わず、医師として対応するべきことを何も行わず事件が発生するまで患者の治療を拒否して放置したために、重大な他害事件の発生を抑制することがなく、発生させた通り魔殺人事件の被害者である。いわき病院は、野津純一氏の病状悪化と通り魔殺人衝動の亢進、及びその結果として発生した矢野真木人通り魔殺人事件に対して、過失賠償責任がある。特に、矢野真木人を殺人させた責任はいわき病院と渡辺朋之医師にある。いわき病院と渡辺朋之医師が野津純一氏に対して適切な精神科医療を行っていたならば、矢野真木人が殺人されることはあり得なかった。また、野津純一氏は曲がりなりにも、社会生活のまねごとを行う程度には回復することが可能であったと推察される。
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