「理想国会」は、混迷が続く本物の国会はさておき、自分たちで日本の未来を考えてみようというプロジェクトです。編集部でピックアップしたこれからの日本を託したいと思える人物10人に取材をし、最後に自分たちなりの提言を電子書籍にまとめます。
参加してくれている有志は、職業も年齢もバラバラで、特に政治活動をしているわけでもない、ごく普通の日本国民。当初は月1回を予定していましたが、準備が追い付かないので数ヶ月に1回、取材を続けています。ホームページには、要旨のみを公開します。
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今回は、東京大学教授、慶應義塾大学教授で社会創発塾塾長の鈴木寛さんに登場していただきました。
鈴木寛さんは元参議院議員です。文部科学省で、教育に関わる当事者が意見交換するサイト「熟議カケアイ」を始めたり、『熟議のススメ』といった本を発行するなど、「熟議」の普及に一役買った方でした。
官僚時代に山口県庁に出向した経験があり、当時吉田松陰の松下村塾に何度も通って人材育成の大切さに目覚めたことが、のちに若者を育てる塾を始めることにつながったそうです。鈴木さんの塾から巣立った若者は、いま各分野で活躍されています。
「熟議は死んでしまったのか」「なぜ民主党では熟議ができなかったのか」「いま何をめざしているのか」などお聞きしたところ、非常に興味深いお話をしてくださいました。
当日のお話の要旨をまとめました。
(ロゼッタストーン編集部:弘中百合子)
第8回 いまの「千代田政府」は2030年までに崩壊する!?
【Q】最近は「熟議」という言葉をあまり聞かなくなっている。熟議はもう死んでしまったのか?
場所によると思う。日本の政治の世界では、「熟議」というものが民主党政権のときに言われたこともあって、それがだらだら議論を引き延ばすことであるかのようなレッテル付けが行われた。熟議への対抗概念として「決められる政治」というキーワードが打ち出され、熟議は民主党政権の崩壊とともに、葬りさられてしまった。ただ、政治以外の場面では、熟議が重要な要素であるコミュニティスクールが5000校を超えた。地域では、熟議は根強く続いているし、広がっている。
【Q】現在、地域の熟議は政策に反映されているのか?
学校ごとにつくる学校運営方針には生かされている。ただ、民主党のときは、熟議カケアイのように、現場と国政あるいは県政とをつなぐ熟議だったが、こうした試みは政権が変わっていっさいなくなってしまった。役人も、実質的には熟議でも、熟議という言葉を使わなくなった。ただ、教育や生涯学習、社会教育の現場では、いまも脈々と熟議は続いている。現場の改善にはつながっているが、それが国政の改善にはなっていない。
【Q】民主党のなかでは、どうして熟議がうまくいかなかったのか?
熟議は行われていたが、それを覆す議員がいた。重要な政策を夜を徹して熟議していても、テレビが入っているときだけ来て発言したり、議論の途中で出て待ち構えたテレビに向かって発言をしたりする。メディアが伝えるのは、そんな議員の発言で、民主党のなかでは議論がされていないというイメージがつくられてしまった。民主党がだめだったのは、そういう反党的行為の議員を抑えられなかったことだ。
メディアはそういうパフォーマンスの議員を重用するので、国民の目にはそんな議員が仕事をしているように見える。徹夜で国のため国民のために議論していても、メディアに出ない議員は、地元で「最近テレビに出ないけど、ちゃんと仕事してるの?」などと言われる。国会をさぼってワイドショーに出るほうが票になる。
当時のメディアは、民主党の中で意見がバラバラな人だけをピックアップして報道していた。それを繰り返すことで、「民主党はバラバラ」というレッテル貼りに自民党もメディアも成功し、それに、軽率な民主党議員が乗っかった。だが、民主党はそういう軽率な議員を指導したり、抑制したりできなかった。
【Q】政権交代当時、あんなに勢いのあった民主党が消えてなくなった敗因は?
11人のサッカーで、7人は優秀なのに、4人が手は使う、オフサイドはするといった状態だった。政策を作るとか、メディアへの対峙の仕方とか、そういう素養がほとんどなかった。私は文部科学副大臣をしていたが、文部科学省は法案成立率100%だった。一方で厚生労働関係は法案成立率3割。官僚を叩くことで政権を取ったので、官僚の協力が得られず、どんどん悪い話をリークされた。そんなところもわかっていなかった。結局、組織や国のおさめ方がわからない人を政権運営に加えざるをえなかった人材の薄さが問題だった。自民党と違って選挙の費用を党が出すわけでも、派閥の長が出すわけでもなく、みんながほぼ自前でやるので金による統制がない。党運営があまりにも民主的すぎたのも敗因だろう。
【Q】永田町では熟議は難しいのか?
難しい。これだけ情報戦になれば。与野党問わず、汗をかいて調整するという政治家が評価されなくなっている。昔の中選挙区制であれば、裏方仕事をしていても再選はされた。今はとにかく無名より悪名。無名よりはスキャンダルで名前が出たほうが選挙にはプラスになるというのが現実。メディアポリティクスの選挙のなかで、永田町に熟議が取り戻されるのは、非常に難しいと痛感している。だが、それは日本だけではない。民主主義の本家であるアメリカやイギリスも同じ傾向だ。
【Q】私たちはどういう心構えで生きるべきなのか?
いまの民主主義は崩壊するということを前提に、自分及び自分のまわりで、なんとか幸せに生き延びていくことだ。国政が正常に機能するというのは諦めたほうがいい。基礎自治体で、生身の人間の日々の暮らしを前提としたさまざまな調整や政治を大事にするべきだ。ただ、国の金融政策だけは自分たちにも効いてくる。これが非常に厄介だ。
【Q】国政に復帰する予定は?
もうないと思う。これだけの借金を抱えると、国は新しい政策はできない。誰がやっても打ち出の小槌はない。政治は、昔は富の再配分だったが、いまは負担の再配分でしかない。政治に対しての期待値は上がるが、そのためのリソースはもうない。中央政府の米櫃は空っぽだ。だが、空っぽと言えず、我々が問題解決すると言い続けなきゃいけないところに、政治家の悲哀がある。
【Q】いまは何をめざしているのか?
もはや新しい国をつくったほうがいいと、社会実験を準備している。いままでは政治と資本主義が拮抗していて、政治が資本主義に一定の歯止めや公共性を加えるだけの力があったが、グローバル資本主義のなかでは、そのバランスが明らかに崩れ、政治は資本主義に飲みこまれてしまった。メディアは本来ジャーナリズムであるべきだが、結局は収益性を求めざるをえない。収益性を求めるとなると、激辛がわかりやすく、記号消費(感覚やイメージによる消費)を提供し続ける。メディアも資本主義に飲みこまれ、ジャーナリズムから商業メディアに変わってしまった。
これは、まさにハーバーマスが、1962年に『公共性の構造転換』で予言している通り。
政治もメディアも消費される記号をただ提供しているだけ。政策もニュースで報道されたらそれで終わりで、次の見出し、次の見出しを求める。その政策が実現するかどうかまで、誰もフォローしない。メッセージとスローガンが打ち上げられるだけで、実態は何も変わらない。
いまの国債の1100兆円というのは、危険水域をはるかに越えていて、1%金利が上がっただけで、10兆円の利払いが増える。10兆円というのは防衛省と文部科学省の予算を足した金額だが、それが利払いで飛んでいく。こういう累卵の状態がずっと続いている。そこで、私が政調副会長のときに、消費税増税の議論をして決めたが、結局、消費税を上げた人は散っていくという証明ができてしまった。
やっぱり経済至上主義から卒業しないとだめ。改めて何が本当の幸せなのかということを一から問い直す。お金は大事だが、すべてではないし、目的ではない。お金は手段の一つであるということに立ち返って、地域で一人一人の顔が見える関係性を豊かにしていく、熟議と協働コラボレーションによって、成功体験を一つ一つ積み上げていくという地道なことをやっていくしかない。
永田町と霞ヶ関は千代田区、日本の主要企業の本社が集中している大手町、丸の内も千代田区なので、私はいまの日本を「千代田政府」と呼んでいる。千代田政府が2030年まで続くとは思えない。経済的破綻、インフルエンザの大流行、自然災害、いろんなことを引き金に千代田政府のガバナンスが崩壊する危険がある。そうなったときに、ある意味での疎開先が必要になる。そういう意味の地域を今から受け皿として再興しておくことが重要。
地方は経済的には大変だが、家や食べ物はあるし、人間関係もまだ残っている。いまは、キャッシュミニマムでどこまで幸せに暮らしていけるのかという社会実験をしている。キャッシュミニマムなら、仮に円の価値が乱高下したときにも、キャッシュ以外の活動は痛くもかゆくもない。だから、貨幣を媒介としない社会活動やコミュニケーション、円やドルに紐づかないコミュニティ通貨などでソーシャルキャピタルを上げていく。生産、消費、廃棄でつながるのではなく、アートや文化などで人と人とがいい関係を築く構造。そういう自発する文化圏が瀬戸内海沿岸でできないかと考えている。
ベーシックインカムのような実験も必要。お金ではなく、家や食べ物を現物支給する「ベーシックソーシャルサービス」の方がよい。現物調達であれば、幸い地方にはかなりの空家もあるし、食料もある。何もしない人が物をもらえることには批判もあるので、広い意味でアート活動をやる人に支給する。ワークショップや子どもに何かを教えるのもアート。社会に価値を産む活動をしている人はベーシックソーシャルサービスを受けられる、という活動はできると思う。
すでに私たちは、南牧村という、消滅可能な群馬県の村に拠点を持っていて、若い人がキャッシュミニマム社会でどれだけやれるかという実験をしている。南牧村というのは、非常に人が温かい村なので、そういう特殊要因もあるかもしれないが、ほとんどお金を使わずに生活できている。
今後は多拠点居住をどれだけ進められるかがポイント。千代田政府が崩壊したからといって、いきなり地方に行っても受け入れられない。平時から血のつながっていない親戚として、稲刈りを手伝うなど村の人が必要としているお手伝いに行き、関係性を深めておく。移住はハードルが高いので、多拠点居住をするなかで、人間関係を濃密にしていくのがよい。
都会は生活コストが高いので、地方のほうが明らかに可処分所得、可処分空間、可処分時間が多い。多拠点居住なら、都会ではウサギ小屋で、地方では豪邸に住む、そういうことも可能になってくる。実際、自分も多拠点での生活を増やしている。
多拠点居住がうまくいく最大の鍵は新幹線。新幹線も飛行機と同じように工夫して、もっと値段を安くしていけば、多拠点居住時代が現実味を帯びてくるのではないか。
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