いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性
4、矢野真木人殺人に至る因果関係
(2)、事件を遡り因果関係を探る
野津純一氏は平成17年12月6日12時24分頃に矢野真木人を通り魔殺人した。この時点から時間を遡り、矢野真木人殺人に至った因果関係を探ることとする。
(1)、通り魔殺人である
野津純一氏と矢野真木人は事前の面識は一切なかった。また、野津純一氏の殺人行動の直前に、矢野真木人と対話及び交流は一切なかった。野津純一氏は「誰でも良いから人を殺す」として矢野真木人を出会い頭に、直前にショッピングセンターで購入した万能包丁で刺殺した。野津純一氏は「女性や子供は可哀想だから殺さない。いわき病院内では病院に迷惑がかかるから人を殺さない」として犯行を行った。いわき病院から犯行現場まで約1km程度であり、事件は野津純一氏がいわき病院から12時10分に許可による外出をして一直線に包丁を購入した直後の12時24分である。
(2)、根性焼きをしても我慢できないアカシジア
野津純一氏は事件の数日前からいわき病院内で根性焼きの自傷を繰り返し、12月7日14時過ぎに外出許可で外出中に身柄を拘束された際には、赤色の瘢痕と数日経過して黒化した瘢痕(根性焼き)が顔面左頬に発見された。
野津純一氏が根性焼きを自傷した理由は、精神症状の悪化と、日に日に激しさを増し我慢できないアカシジア(イライラ・ムズムズ・手足の振戦)であった。主治医の渡邊朋之医師は統合失調症の再燃は一切考慮せず執拗に野津純一氏が訴えるアカシジアの原因薬剤が抗精神病薬のプロピタン及び抗うつ薬のパキシルである可能性または強迫症状がある患者の心気的訴えである可能性を考えて、平成17年11月23日(祝日)からプロピタン及びパキシルを同時に突然中止した。しかし、この処方変更を渡辺朋之医師は病棟スタッフに周知して、患者観察の重点事項を指示していない。
野津純一氏は11月23日に複数の向精神薬を同時に突然中止した後の11月中は一時的にアカシジアの症状が緩和したと思われる病院スタッフの記録が残されている。その後状況は変化して、渡邊朋之医師は11月30日に野津純一氏を診察して「患者 ムズムズ訴えが強い、退院し、1人で生活には注射ができないと困難である、心気的訴えも考えられるため ムズムズ時 生食1ml 1×筋注とする、クーラー等への本人なりの異常体験(人の声、歌)等の症状はいつもと同じである」と診療録に記載して、「ムズムズ訴えが強い」と観察した。それにもかかわらず12月1日からムズムズ(アカシジア)緩和薬アキネトンを生理食塩水に代えたプラセボテスト(患者に対して治療に関する説明責任を果たしてない証拠である)を導入した。渡邊朋之医師は観察と治療が一致していない。
(3)、誰でも良いから人を殺す衝動の発生
12月に入って、野津純一氏は精神症状悪化とアカシジアの苦しみが亢進していた。プラセボテストは12月1日から開始したが、渡邊朋之医師は11月22日の治療設計で「ムズムズ訴えがあり、一度、生食でプラセボ効果試す(3日間試す)」と計画していたにもかかわらず、プラセボ効果判定を行わなかった。更に、渡邊朋之医師は11月23日に実行した複数の向精神薬の同時突然中止後に診察は11月30日に1回行っただけで、重大な時期における患者の経過観察を行っていない。このため、患者野津純一氏の病状の悪化に気付くことがなかった。その状況下で、野津純一氏は顔面に根性焼きを繰り返し、それでもイライラが収まらず我慢できなくなり、「誰でも良いから人を殺す」決意をした。
いわき病院内で、野津純一氏は激しいアカシジア(イライラ・ムズムズ及び手足の振戦)に苦しんでおり、その苦しみの中で、喫煙室を汚して野津純一氏がタバコを吸うのを邪魔する集団の悪さという妄想及び父親の悪口が聞こえる幻聴に悩まされていた。野津純一氏は12月6日朝10時頃に、激しいアカシジア及び妄想と幻聴の苦しみの治療を期待して看護師を通して主治医の渡邊朋之医師の診察を願い出たが、診察を拒否されて「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と怨嗟の声をあげたことが看護記録に残されている。この時点で野津純一氏は「誰でも良いから人を殺す」決心をして、昼食後に直ちに外出したものである。しかしながら、いわき病院は外出許可時に患者の状況を常に観察と確認をしていない。
渡邊朋之医師は診察拒否をして野津純一氏に「誰でも良いから人を殺す」という決心を実行させる引き金を引いたが、そのことをいわき病院関係者は察知することがなかった。この時点で野津純一氏は顔面左頬に野津純一氏の表現で根性焼き(タバコの火を押しつけたやけど傷)を自傷しており、いわき病院関係者が患者の顔を正面から正視(精神科では患者観察の基本)していたならば、容易に患者の異常を発見することが可能であった。患者が持つ「誰でも良いから人を殺す」という決心は患者と対話しなければ引き出すことはできないが、殺人を決意した患者の表情の異常性と顔面に出現したやけど傷は、患者に対応する必要性があることを示す明瞭なサインである。いわき病院の看護師が野津純一氏を正面から正視して観察しておれば、心神の異常が現れた表情とやけど傷は当然発見可能であり、同時に心神に重大な危機が迫っていたことに気付いて、外出許可の見直し等の対応が可能であった。心神の状況と顔面の異常を発見できなかった事はいわき病院の明白な看護ミスである。更に、「12月4日は近寄るのもためらわれる状態」と表現した医師がいるが、看護師が患者に近寄らず顔面を正視せず「根性焼き」を発見しなかったとしても、看護師が患者に接近することをためらうような、心神に何らかの異常を患者に感じた筈であり、そのことを報告する義務があった。いわき病院は看護観察に不備があり、いわき病院の看護観察力と看護記録は、その真実性が疑われる。
いわき病院が野津純一氏に外出許可を与えるに際して、きちんと手順通り、看護師等の医療スタッフが患者野津純一氏の状況を確認していたならば、外出許可の見直し(単独外出の一時的禁止、または付き添い付きの外出等)が行われて、野津純一氏が通り魔殺人事件を引き起こすことはなかった。いわき病院では外出許可手続きは、実質的に患者が外出簿に外出時間と目的を記載するだけで行われており、外出時の患者の状況を確認することは行わない、おざなりな状況であった。いわき病院が入院患者である野津純一氏の外出時の状況の確認を徹底していたならば、精神科病院に期待される通常の水準の医療と看護が行われておれば、その時に患者が持っていた「誰でも良いから人を殺す」決意を察知することはできなくとも、異常な決意を持った人間の表情の変化や特異な様相、更には顔面の根性焼き等に気付いて、適切に対応できた筈であり、その場合は事件の発生を未然に結果回避することが可能であった。
(4)、向精神薬の同時突然中止と殺人行動を結ぶ直接因果関係
野津純一氏は精神症状の悪化と耐えきれないイライラ・ムズムズ・手足の振戦(アカシジア)の苦しみから「誰でも良いから人を殺す」ことを思いつき、実際に矢野真木人を通り魔殺人した。渡邊朋之医師は野津純一氏の執拗なイライラ・ムズムズと手足の振戦に悩み、複数の向精神薬(プロピタン、パキシル)を同時に突然中止し、更にプラセボテストとしてアカシジア緩和薬(アキネトン)の中止を行ったが、アカシジアは良くなるどころか更に悪化した。このため、平成17年11月23日以降に渡邊朋之医師が実行した複数の向精神薬同時突然中止と野津純一氏が12月6日に行った矢野真木人殺人行動の間には、野津純一氏の統合失調症病状悪化と耐えられないアカシジアの苦しみを通した直接因果関係が成立する。
(5)、結果予見可能性と結果回避可能性
渡邊朋之医師は「野津純一氏にアカシジアが亢進していたとしても、『誰でも良いから人を殺す』という野津純一氏の考え方は、野津純一氏が発言しない限り察知不能である。従って、殺人事件の発生という結果予見可能性もなければ、結果回避可能性もない」との主張である。渡邊朋之医師は野津純一氏の「誰でも良いから人を殺す」という言葉を正確に予見する必要は全く無い。しかし、通常の能力を持った普通の精神科医師であれば当然のこととして、慢性統合失調症の患者に抗精神病薬を中止して統合失調症の治療を中断し、更に突然中断を行う危険性が知られているパキシルを突然中止すれば患者に行動上の重大な危険性が亢進することを予見しなければならない。患者野津純一氏は過去に放火暴行履歴があり、いわき病院に対してその事実を自己申告して、「再発時の一大事」と表現して「統合失調症の治療中断時の危険性」を自ら述べていた。更に、いわき病院入院直後にも看護医師を襲う行動を行っており、主治医の渡邊朋之医師は精神科専門医としてその危険性を十分に承知するべき立場にあり、その気になりさえすれば危険性を知ることは容易にできたし、かつ、知る義務があった。従って、精神科専門医として渡邊朋之医師は野津純一氏に重大な危険行動が発現する可能性が極端に亢進する状況という結果予見可能性があった。
11月23日以降の野津純一氏は主治医が毎日病状の変化を経過観察しなければならないほどの重要な時期にあった。12月1日21時20分からプラセボテストを実施しており、自らの計画に基づいて12月4日はその効果判定を慎重に行うべき時であった。野津純一氏はアカシジアの苦しみから主治医に診察を繰り返し要請していた。渡邊朋之医師が複数の向精神薬を同時に突然中断したことに伴う診察義務、プラセボテストを実行したことに伴う効果判定義務に従い、入院患者からの診察要請に誠実に応えていたならば、事件は回避できた。野津純一氏を適切な時期に複数回診察することが、渡邊朋之医師の当然の義務であった。渡邊朋之医師が複数回の診察義務を果たしておれば、また渡邊朋之医師が精神科専門医として期待される通常の能力を持った医師であるならば、野津純一氏が「誰でも良いから人を殺す」と発言しなくても、野津純一氏に発現して亢進しつつあった病状悪化(他害衝動が亢進した危険性)に気付き、普通の精神科医師として当然期待される有効な対応をしたはずである。その場合、結果回避可能性が発現した。
平成17年12月6日の12時過ぎに、野津純一氏の外出許可が見直されておれば、野津純一氏と矢野真木人は出会うこともなかった。また、渡邊朋之医師が野津純一氏に抗精神病薬(プロピタン)とパキシルを再開する対応を取っていたならば、野津純一氏の病状は安定化して、矢野真木人と出会ったとしても、殺人という危険行動を行うこともなく、お互いにすれ違ったと意識することも無く、離れたことであろう。渡邊朋之医師が精神科専門医として、当然の義務を果たす普通の医師であれば、また、当然必要とされる見識を持っておれば、事件は結果回避可能であった。
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