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いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性


平成26年5月7日
矢野啓司・矢野千恵
inglecalder@gmail.com


4、矢野真木人殺人に至る因果関係

(1)、事件に関する事実関係

控訴人矢野は、「いわき病院と渡邊朋之医師が野津純一氏に対して行った精神科医療は一病院の一医師が一患者に対して行った「特殊事例」であり、決して日本では普遍的で何処にでもある一般的な事例ではない」と考えたい。ところが、いわき病院代理人の弁論は、あたかも日本の精神科開放医療全体を否定するかのような弁明を繰り返した。いわき病院が推薦したIG鑑定人(千葉大学医学部教授)も「いわき病院を一般的な病院」また「渡邊朋之医師を一般的な医師」として「普通の病院の普通の医師」を根拠として過失責任を否定する論陣を張った。

いわき病院は香川県で最初に日本病院評価機構に認定された「優良精神科病院の筈」である。また、渡邊朋之医師は香川医大でも外来担当医師を勤めた大学病院水準の精神保健指定医であり、控訴人矢野はそれが実態を伴ったものであって欲しいと願う。しかし、野津純一氏に行った精神科医療には、基本的な医療知識の錯誤があり、薬剤添付文書を正確に理解せず、患者が重要な時期にある事を認識せず、病状の進展に結果予見性と結果回避可能性を持たない開放医療であった。外見と現実のギャップは大きい。

いわき病院が典型的な日本の普通の精神科病院であり、渡邊朋之医師が通常一般の医師であるならば、また野津純一氏に対して行われた医療が普通の医療であるならば、事態は深刻である。それでは日本の精神科医療は国際的な信頼を獲得することができない。控訴人矢野は、いわき病院の精神科開放医療が特殊事例であることを心から願っている。


(1)、精神障害者の犯行

野津純一氏は平成17年12月6日12時24分に矢野真木人を通り魔殺人した。刑事裁判では心神耗弱により、無期懲役が減刑され懲役30年が求刑されたが、判決では「純一は慢性鑑別不能型統合失調症に罹患しており、本件犯行はその影響下で行われたものである」、「純一は本件犯行当時心神耗弱の状態にあったと認められる。純一の反省の態度が不十分であるのも、この精神病の影響によるものと考えられる。そしてその病状は既に発症から治療が不十分のまま20年以上の期間が経過し寛解が極めて困難な人格崩壊の段階に至っている」、「(純一の病気が)それほど重いものでなかった」などと言えるのか相当に疑問」として再度減刑され、懲役25年が宣言された。その後野津純一氏は控訴せず、判決は確定した。

いわき病院長渡邊朋之医師は「純一のこれまでの一見反社会的と取れる行動も、全て統合失調症の病状からの被害妄想や幻聴やそれに随伴する行動として捉え得る」(以和貴会第5準備書面P.4、乙B第15号証、P.13)と述べている。しかるに、渡辺朋之医師は一級精神障害者手帳を所持し一級の障害者年金受給者野津純一氏の慢性統合失調症治療で、普通の精神科医師では考えられない、常識的な治療対応を誠実に行わなかった。その上で、精神科医療知識に錯誤と経過観察に怠慢があり、殺人事件の発生する原因を誘発し、結果回避可能であったにもかかわらず、結果回避を行うことができなかった。


(2)、いわき病院に入院する前

野津純一氏は中学2年の1学期から不登校が始まり統合失調症の兆候が疑われ始めたが、中学は卒業することができた。中学卒業後は定時制高校の学業は持続せず、仕事も定着継続することも適わなかった。17歳時に自宅及び両隣を焼失する大火災を発生させたが、精神障害者・未成年者であるため、警察沙汰になっても前科は付いてない。本人はこの事件を「放火」と香川医大の主治医に話した(以和貴会第2準備書面、P.6)。

その後、野津純一氏は高松市周辺の精神科医院及び精神科病院を転院しながら強迫性障害・統合失調症として治療を受けた。25歳時には当時通院していた香川医大精神科に包丁を持ち込み主治医の女医を襲おうとして取り押さえられた。いわき病院には平成13年と平成16年の入院歴があり、平成13年の入院記録に治療の課題として「攻撃性の発散」が記録された。その後、高松市内の精神科クリニックに通院中に通行人の若い男性を突然襲撃する事件を起こしたが、親が和解金を支払って事件としていない。野津純一氏は自宅で暴れることもあったようであり、家庭内暴力の記録があり、家具等を破損したとされている。いわき病院には平成16年に再入院して、事件まで入院を継続した。

いわき病院に平成16年10月1日に入院するに当たって、野津純一氏の両親は本人の放火暴行履歴を説明し(平成16年9月21日HB医師、10月1日MTSW)、本人も誠実に自己申告した。


(3)、いわき病院入院直後の暴行事件

野津純一氏がいわき病院を入院先に選んだ理由は、第2病棟に併設されたアネックス棟で許された自由な入院生活を好んだからとされる。野津純一氏は親から独立して単独で生活する能力に乏しく、社会復帰のための中間施設での単独生活を望んでいない。他方、食住と治療が提供され、自由な外出が許可されるいわき病院のアネックス棟は野津純一氏には、何時までも継続して住みたい、快適な住・治療環境と認識されていたようである。野津純一氏は退院して、アネックス棟から出される状況を怖れていたと推察される。殺人事件後の刑事裁判判決が確定して収容された北九州医療刑務所で、野津純一氏は「今ではアカシジアで苦しんでいないが、自由だったいわき病院に帰りたい」と懐かしがっていた。受刑者の立場から見れば、いわき病院アネックス棟のルーズな管理には懐かしい魅力があると思われた。

入院直後の平成16年10月21日の早朝に、洗面している男性看護師が注射器を洗浄して不潔と統合失調症による妄想して襲撃し、その日から10月26日まで隔離処遇となった。その後閉鎖病棟の大部屋で他の患者と共同生活するように説明されたが拒否して、鍵をかけない隔離室を個室のようにして過ごし、11月9日にアネックス棟に戻された。いわき病院は患者野津純一氏の病院内の閉鎖病棟または開放病棟の処遇に関して患者の要求に振り回された。野津純一氏はそれ以降いわき病院内では問題行動を起こしていないとされる(いわき病院第5準備書面、P.4)。いわき病院の渡邊朋之医師は3ヶ月後に主治医を交代したが、「これ以後、事件まで1年以上の間、野津純一は問題行動を起こしてないので、他害の危険性を調査する必要はない」と後付けの弁明(自らは前方視(プロスペクティブ)を行わないが、相手を後方視(レトロスペクティブ)と批判した二枚舌)をした。いわき病院は野津純一氏が看護師を襲った時点で、他害行為を行う可能性を過去の暴行歴を参考に、前方視(プロスペクティブ)で調査と分析を行う義務があった。


(4)、渡邊朋之医師の主治医交代から平成17年11月22日まで

主治医が渡邊朋之医師に平成17年2月14日に交代するまで、野津純一氏はNG医師にリスパダールを処方され、病状は安定(Stableと診療録P.33に記載)していた。その安定した病状を渡邊朋之医師も確認している。

主治医を交代した渡邊朋之医師は野津純一氏の早期退院を目指していたと思われ、折角安定した病状であったにもかかわらず、慢性統合失調症の野津純一氏に投薬する抗精神病薬を2月16日から副作用の少ない非定型リスパダールから副作用の強い定型のトロペロンに変更した。野津純一氏の病状は急激に悪化して2月17日には意識焼失発作(レセプト記載)、2月19日には外泊中に体調の悪化があり、20日には予定より早く帰院して渡邊朋之医師の診察を受けたが、渡邊朋之医師は嘔吐を伴う感染症(レセプトはインフルエンザ疑い)と間違った診断をして、副作用の酷い抗精神病薬過剰投与に変更したことに思いが至っていない。渡辺朋之医師はこの時もトロペロンの薬剤添付文書を正確に読んでおらず、記載されている麻痺性イレウスの副作用の可能性を検討していない。病状は改善せず、21日に渡邊朋之医師は再度診察して再び感染症とした。渡邊朋之医師は漫然と治療を行い、薬剤添付文書の記載を再確認しない。この病状悪化は2月23日にSZ医師がトロペロンをリスパダールに変更して改善した。渡邊朋之医師が自らの抗精神病薬の変更が病状悪化の原因であることに気付かず、対応できなかったことは特筆できる。更に、2月25日に渡邊朋之医師はCPK値が正常であることをもって「アカシジアにしてはCPKの値が低い」と野津純一氏が示していたムズムズ・イライラやそわそわ感等の症状をアカシジアと診断することを否定した。

その後、渡邊朋之医師は野津純一氏に対する抗精神病薬の処方変更を繰り返し、3月29日からプロピタンとパキシルの処方を開始した。野津純一氏はアカシジアを悪化させながら11月22日まで継続した。いわき病院の薬剤師は渡邊朋之医師と薬の効果に関する意見が折り合わず、11月2日に渡邊朋之医師の処方に同意しない意見を記述して以後、野津純一氏に対する薬剤管理指導を行った記録が存在しない。

IG鑑定人は渡邊朋之医師が主治医を交代後に2月から11月まで9ヶ月間経過したことを理由にして「それなりに経過」として免責の理由としているが、問題は11月23日(祝日で病院は休み)に実行した複数の向精神薬の同時突然中止後の医療である。


(5)、平成17年11月23日から殺人と身柄拘束まで

渡邊朋之医師は薬剤師の協力無しに、又、本人と家族への説明と同意無しに「一方的」に(野津純一氏発言)11月23日から抗精神病薬(プロピタン)の中止及びパキシル(抗うつ薬)を同時に突然中止した。更に、12月1日からはプラセボテストとしてアカシジア緩和薬(アキネトン)を中止して薬効がない生理食塩水の筋肉注射を開始した。渡邊朋之医師は薬剤師の協力無しに大規模な処方変更を実行し、その事実を看護師などのスタッフに周知せず、野津純一氏にはチーム医療が機能していなかった。

渡邊朋之医師は、薬剤師に協力を得ないままで複数の向精神薬を同時に突然中止するに当たって、慢性統合失調症患者に統合失調症治療ガイドラインの注意事項及び禁止事項を無視し、薬剤添付文書の重要な基本的な注意を正しく読まず理解せずに、処方変更を行った。また複数の向精神薬を同時に突然中止すれば、発生する可能性がある病状悪化が加算的ではなく、相乗的に拡大される危険性を全く考慮していない。更に、処方変更後に必須である問診と経過観察を行わず、病状悪化に対応することがなかった。渡邊朋之医師は、臨床精神科医師として誠実に患者の病状を把握して、常識的な医療を行う義務を果たしてない。この渡邊朋之医師の怠慢と非常識な医療が矢野真木人殺人事件を誘発したが、渡邊朋之医師は適切な対応を怠り事件を回避する事がなかった。薬剤添付文書の理解に関しては、いわき病院答弁書(平成25年10月1日付け)は国語力を疑うこじつけである。作文は代理人弁護士と思われるが、精神医学的内容であり、渡邊朋之医師は代理人弁護士が作成した原案に同意していなければならず、「知らなかった」とは言えない。渡邊朋之医師が薬剤添付文書の理解を間違えていた証明である。

渡邊朋之医師は野津純一氏を最後に診察した11月30日付けカルテに「退院し、1人で生活には注射ができないと困難である」と記述して、アカシジア緩和薬のアキネトンを生理食塩水に代えるプラセボテストを指示した。他方では「平成17年12月当初の時点で退院は困難であると判断している」(いわき病院第2準備書面、P.7)と述べており、野津純一氏に対する診察と治療は混乱していた。


(6)、矢野真木人殺人に至った因果関係

野津純一氏は抗精神病薬定期処方を中止して統合失調症の治療を中断された上に、突然の中止で危険性が特に指摘されているパキシル(抗うつ薬)を同時に突然中止され、心神は混乱の極みにあった筈である。更に、イライラ・ムズムズと手足の振戦で耐えきれないアカシジアの緩和薬アキネトンを中断されて薬効がない生理食塩水をプラセボ投与されていた。事件後にカルテを検討した精神科医師は「12月3日が、病状悪化が顕在化する転換点」と指摘した。そして12月4日は「患者に接近するのもためらわれる状況」と表現した。野津純一氏はこの時点の「事件の2〜3日前に、根性焼きをした」と警察取り調べで答えている。野津純一氏は、アカシジアに効かないことに気付き、4日12時の生食1ml筋注時に「アキネトンやろー」と確かめる行動をしていた。しかし状況は改善されることなく、益々悪化していた。「事件前日の12月5日にイライラ解消のための殺人を決意した」と野津純一氏は供述している。

高松地裁判決は12月4日の生食筋注を渡邊朋之医師が行ったとして、経過観察をしたと判決したが、目の前でアキネトンを疑う患者を診て、プラセボ効果判定を行わず、患者を見ても野津純一氏の不安・苦痛・焦燥などの精神状態や異常を発見できない医師となり、渡邊朋之医師の過失を決定付ける。また、野津純一氏は12月5日に風邪気味であったが、この症状の記録は看護師の観察であり、渡邊朋之医師もMO医師も野津純一本人を診察していない(医師法第20条(無診察治療の禁止)違反)。いわき病院は医師の診察なしに野津純一氏を風邪の症状と決めつけた。

渡邊朋之医師は勉強不足の精神保健指定医であるが、複数の向精神薬を同時に突然中止した後で、用心深く患者の経過観察を行っていたならば、野津純一氏の病状の変化(明白な悪化)に気付いたはずである。向精神薬の中止後に慎重に診察することは結果予見可能性があったことを意味するが、診察しなかった事実は、主治医として結果予見可能性を維持する義務を放棄していたことになる。結果予見可能性を放棄した状況で、診察義務を果たさない渡邊朋之医師には結果回避可能性はあり得ない。

この時期の野津純一氏の状況は、ブレーキが効かない暴走車で、いつ何時重大事故を引き起こしてもおかしくない状況であった。12月6日の午前10時に野津純一氏は看護師を通して主治医に診察を願い出たが渡邊朋之医師は「咽の痛みがあるが、前回と同じ症状なので様子を見る」とカルテに記載して診察を拒否した。しかし、「前回と同じ喉の痛みの症状を確認した」のは12月5日朝10時のON看護師の定期検診時で、この時に複数の向精神薬の同時突然中止に関する指示を与えられていない看護師は患者が異変ではなく通常の状態にあると考えて風邪薬を与薬した。そしてMO医師の同日21時30分のレセプト承認で風邪薬と共に生食20ml(筋注は1ml)が記載されている。この時の「頭痛の症状」はパキシル突然中止で高頻度に現れるが、渡邊朋之医師は患者の状況を自ら確認していない。野津純一氏は看護師から診察拒否を伝えられて「先生にあえんのやけど、もう前から言ってるんやけど、咽の痛みと頭痛が続いとんや」と述べて、病状の悪化を訴えても主治医が診察しない不満を述べた。その直後の12時10分頃に野津純一氏はいわき病院から許可による外出をして、ショッピングセンターで万能包丁を購入した。この時レジ係が野津純一氏の顔面左頬にやけど傷(根性焼き)があることを確認した。野津純一氏は店外の駐車場に出て12時24分に矢野真木人を出会い頭に突然刺殺した。

渡邊朋之医師が野津純一氏に対して行った精神科医療は、常識的な意味で本当に医療に値すると言えるか、はなはだ疑問である。渡邊朋之医師は医師として誠実な行為として「裁量権」に基づく医療行為を行ったのではなく、医学的常識とエビデンスのない「独断」と、薬剤添付文書を読まないか読んでも正確に読めず正しく理解できない、間違った医療行為であった。その上で、医師本人の介入で重大な時期にあった患者の経過観察を行っておらず、極めて不誠実かつ怠慢であった。この様な行為には過失責任を課して当然である。また、責任を問うことに手をこまねいておれば、「悪貨が良貨を駆逐する」こととなり、日本の精神科医療は荒廃し、日本の名誉が失われることになる。



   
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