いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性
8、北陽病院事件に関する最高裁判例
(2)、最高裁の北陽病院判決
(1)、病院側に医療上の過失があること
最高裁第三小法廷判決は以下の通り述べた。
(六)本件殺人事件当時、Aは、精神分裂病の影響で、自己の行為の是非善悪を弁識し、これに従って行動する能力が著しく低下していた、というのである。右のような事実関係の下においては患者の治療、社会復帰が精神医療の第一義的目的であり、他害のおそれという漠然とした不安だけで患者の治療を拒否し、患者を社会復帰から遠ざけてはならないことなど緒論指摘の点を考慮してもなお、北陽病院の院長、担当医師、看護師らには院外散歩中にAが無断離院して他人に危害を及ぼすことを防止すべき注意義務を尽くさなかった過失の存することは到底否定しがたいと言わざるを得ず、また、右過失と本件殺人事件との間には相当因果関係があると言うべきである。
上記で、法的な相当因果の認定に関して大切なことは、以下の通りである。
- 患者の治療、社会復帰のために開放治療が必要であったとしても、病院側には患者による他害の危険性に対して適切な対応や対策を取る責任があり、これを行わない場合には過失責任が問われる。
- 通り魔殺人と病院の過失の間の法的な相当因果関係は常識的理解の範囲で認定できる。すなわち病院が、他害の履歴をもった患者を、他害の恐れがある状態のまま離院(外出)させた場合には、その離院させた過失と離院中の患者の行動(殺人)との間には相当の因果関係があるとされた。
(2)、無理難題の高度の蓋然性の論理は否定された
最高裁は、無断離院した患者が岩手県から長距離を離れた横浜市で4日後に通り魔殺人したことに関して高度の蓋然性の判断を否定する要件としていない。
これに関して、北陽病院代理人は上告理由で「無断離院したならば数日後に無断離院した場所から約500キロメートルも離れた地点で強盗殺人を犯すことの具体的予見可能性および回避可能性が存在し、医師としての注意を払ったならば強盗殺人を具体的に予見し、強盗殺人を具体的に回避することができたと法的に判断できなければ、当該患者を院外散歩に参加させた医学的判断、そして院外散歩の実施方法の決定において、強盗殺人発生に対する注意義務違反の存在は認められない。」と主張していた。
最高裁は、北陽病院代理人が主張した、現実性を持たない無理難題を押しつける高度の蓋然性の論理を否定した。最高裁が認定した殺人と病院の責任を結ぶ相当因果関係は、常識の範囲内にある。また、結果予見可能性と結果回避可能性の判断は、主治医が当該患者に対して精神科開放医療の実施を最初に判断する時に決まる1回限りの判断ではない。主治医が行った結果予見性と結果回避可能性の判断が妥当であったか否かは、事件の発生と直接関係がある時点で、持続的また継続的に行われなければならない。
北陽病院では「犯人が無断離院して強盗殺人を犯すことの具体的予見可能性」は犯人の過去の行動歴から予見可能なことであった。しかし、直ちにそのことで患者に対して開放医療を行ったことが問題となるのではない。結果予見可能性がある中で、犯人が無断離院したその日の病院の対応で、院外散歩中に無断離院を防止する「結果回避可能性」に関連して適切かつ十分な病院側の事前及び院外散歩中の注意義務を尽くさなかった北陽病院側の対応に過失があった。北陽病院は、その日に院外散歩を行わせるに当たって、適切に結果予見可能性がある状況を判断せず、結果回避可能性の対策をとる義務を果たさなかったことが過失と判断された。
(3)、北陽病院の義務と過失
最高裁は北陽病院の過失と通り魔殺人の発生に関して、「患者の治療、社会復帰が精神医療の第一義的目標であり、他害のおそれという漠然とした不安だけで患者の治療を拒否し、患者を社会復帰から遠ざけてはならないことなど所論指摘の点を考慮してもなお、北陽病院の院長、担当医師、看護師らには院外散歩中にAが無断離院をして他人に危害を及ぼすことを防止すべき注意義務を尽くさなかった過失の存ずることは到底否定しがたいと言わざるを得ず、また、右過失と本件殺人事件との間には相当因果関係があるというべきである。」と判決した。
上記の最高裁の判断を左右したのは、「措置入院」ではない。措置入院であっても社会復帰のための開放医療を行うことを容認している。最高裁判断のポイントは、無断離院のおそれがある患者に開放的処遇を実施するについて、「無断離院して他人に危害を及ぼすことを防止すべき注意義務を尽くさなかった過失」にある。精神科病院は開放医療を積極的に推進することが求められる。そして同時に、開放医療を実施することによる事故の発生の可能性を予見して、事件や事故が発生する可能性の結果回避を行う対策を整える義務が課されているのである。精神科病院は開放医療の大義名分を唱えておれば、無責任であっても許されるという道理はない。また、判決は精神科開放医療の実施を制限したものではない。
いわき病院代理人は「精神科病院に法的な過失責任を問えば、日本の精神科開放医療を行えなくなる」と主張しており、同一の主張が北陽病院事件でも行われた。しかしながら、北陽病院事件判決(平成6年)後、既に20年が経過した。この間に判明したことは、日本の精神科医療全体の停滞である。また、日本の精神医療界は国際的に名誉を回復していない。日本の精神科医療に求められるのは、責任回避ではない、法的責任の認識と履行である。その上で、精神障害者の人権を尊重しながら、他人に危害を及ぼすことを防止すべき注意義務を果たす医療を行うことで、精神科開放医療は促進される。
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