いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性
10、渡邊医師の結果予見と回避義務違反
平成17年12月6日12時24分におけるいわき病院入院患者による第三者殺人事件の発生は、主治医の渡邊朋之医師以外の何人も結果を予見し得ない事である。もし、いわき病院代理人が控訴人矢野に証明することを迫ったように、被害者本人の矢野真木人が野津純一氏を含む精神障害者に殺人されることを予見する事が可能であったならば、本人はその日その時に危険が予想される場に立つこともなく、現在も100%存命である。殺人される可能性に気づいても身を守らない人間は誰もいない。いわき病院の責任は誰もが容易に納得する合理的な論理に基づかなければならない。
平成17年11月から12月の時点で、唯一、野津純一氏による殺人を含む重大な他害事件が発生する可能性を予見して回避可能であった人物は野津純一氏の主治医渡邊朋之医師ただ一人である。渡邊朋之医師は精神保健指定医でいわき病院長であり、医療専門職の良心に基づいて結果予見性を持ち、その上で自らの能力と病院機能を働かせて、患者により重大事故が発生する可能性を未然に防止する結果回避義務があった。それは普通の精神科専門医であれば、当然のことである。渡辺朋之医師が普通の精神科医師の当然の義務を果たしておれば、矢野真木人殺人事件は発生しなかった。
渡邊朋之医師は平成17年11月23日から慢性統合失調症患者の野津純一氏に抗精神病薬(プロピタン)を中止して統合失調症の治療を中断していた。この時点で、患者に重大な自傷他害行為が発現する可能性を予見して、チーム医療で予見可能な結果を回避する義務があった。更に、パキシル(抗うつ薬)を同時に突然中止したが、その場合、患者が重大な自傷他害行為を行う危険性が高くなることは当時の精神科医の常識であった。また、2薬を同時に突然中断する危険性は、加算的でなく相乗的に飛躍的に亢進することも、大学病院の医師でなくても、普通の医師の常識であった。
野津純一氏の慢性統合失調症の治療を中断した渡邊朋之医師は、毎日のように患者を診察して経過観察を行うことが当然の義務であったが、複数の向精神薬の同時突然中止した11月23日(水・祝日)から12月7日(水)までの2週間で11月30日(水)の夜間に1回だけ診察を行ったのみである。野津純一氏は12月2日(金)には「内服薬が変わってから調子悪い」と言い、3日(土)には朝から「調子が悪い、ムズムズする、体が動く、手足が動く」と不調を訴えていた。渡邊朋之医師は「12月3日にも30分以上かけて診察した」と主張したが、患者の病状悪化に何も対応していなことは明らかである。12月3日の診察は診療録に記載が無く医師用違反で根拠がない。もし、仮に診察した事が事実であったとしたら、患者の病状を正確に評価できないなさけない主治医であったことを証明するだけのことである。渡辺朋之医師に過失責任を逃れる術はない。
12月4日(日)には野津純一氏は朝からアカシジアで苦しんでおり、12時の生食1mlのプラセボ投与を「アキネトンやろ〜」と疑った。高松地判決はこのプラセボ筋注を渡邊朋之医師が行ったと事実認定したが、主治医はプラセボ効果判定をしていない。また、野津純一氏は事件前の数日間は「喉の痛みと頭痛が続いていた」がこれはパキシル投与中止(特に突然の中止)に伴う症状である(パキシル添付文書、2005年6月改訂(第7版)、P,1、使用上の注意、2,重要な基本的注意、(3)投与中止(特に突然の中止))。しかし、12月5日(月)朝10時の看護記録で、看護師は医師の診察も無しに「風邪」と決めつけて、風邪薬を与薬した。(看護師はパキシル中断に伴う留意事項を指示されておらず、観察間違いはありえることである。)この看護師が決めつけた「風邪」症状をいわき病院ではMO医師の同日夜21時20分のレセプト承認、及び6日(火)朝10時の渡邊朋之医師の診察拒否時の証言で追認した。いわき病院では医師が患者を診察しないで(医師法17条(医師以外の医業の禁止)違反)病状を複写して記録していた。重大な義務違反である。その上で、渡邊朋之医師は6日に、患者を診察もせずに「風邪症状」と決めつけて野津純一氏に診察拒否をした。パキシル(抗うつ薬)を突然中断した医師として、薬剤添付文書に記載がある「喉の痛みと頭痛」の症状を診察して確認する義務を果たしておらず、看護師の意見で診断したことは間違いである。これでは主治医として結果予見性を持つ事はできない。
渡邊朋之医師が12月3日(土)から6日(火)までの間に、野津純一氏を診察していたら、いくら資質に問題がある医師であったとしても、野津純一氏の病状の異変に気付いていたであろう。更に、渡邊朋之医師は、当時の精神科医師の常識に基づいて、野津純一氏が重大な他害行為(殺人を含む)を行う可能性を予見できる可能な立場にあった。パキシル添付文書の記載を含む医療知識は当時も現在も同一である。更に渡邊朋之医師は精神保健指定医として医療情報を知り、そして理解する義務があり「当時は知らなかった」の弁明は通用しない。渡邊朋之医師は結果予見可能性があったが、診察をしないことで、そのチャンスを逃したが、その責任は主治医の渡邊朋之医師自身にある。
渡邊朋之医師には、複数の向精神薬を同時に突然中止した薬事処方変更で、主治医として結果の態様(病状の変化)を知るべき義務と、結果(病状の悪化と自傷他害行為の危険性の亢進)を予見するべき義務があり、同時に、予見可能な結果(深刻な他害行為の発現)を回避する義務と責任があった。そして、渡邊朋之医師が、普通の能力を有した精神科医であれば常識として知るべきことを知らないことは渡邊朋之医師を免責する理由にならない。渡邊朋之医師はいわき病院のチーム医療を機能させて、複数の精神科医が経過観察をするなどの行うべき責任があった。何もしないで、事件の発生を漫然と許したことに、いわき病院と渡邊朋之医師の過失責任がある。
野津純一氏はいわき病院に入院中で主治医の病院長渡邊朋之医師の治療下で、精神科医療というには程遠い状態に置かれていた。平成17年11月23日(水)から実施された複数の向精神薬の同時突然中止は慢性統合失調症患者に対する精神科薬物療法の中断である。その状況は、通院患者が精神科外来通院を勝手に止めて、その上で向精神薬の服薬を自ら中止する状況と変わらない。普通は入院中の患者には起こり得ない服薬の中止である。この様な状況では自傷他害事故が発現する危険性は極めて亢進する。いわき病院の渡邊朋之医師が野津純一氏に対して行った精神科医療の中断は、日本の精神科医療に普通にある一般的な状況ではない。これは、いわき病院と渡邊朋之医師の特殊事例である。その特殊事例をいわき病院代理人はあたかも日本では普通の一般事例であるかのように弁論したが、間違いである。これほどお粗末な事例が一般的であるはずがない。
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