いわき病院医療が引き起こした矢野真木人殺人事件
相当因果関係と高度の蓋然性
8、北陽病院事件に関する最高裁判例
(1)、北陽病院事件概要と本件裁判の参考となる理由
(1)、事件概要と本件裁判の参考となる理由
集団外出訓練中に脱走した措置入院患者による警察官刺殺事件である。北陽病院事件は、措置入院患者が行った殺人という行動に対する病院の責任が問われた。いわき病院は「野津純一氏は任意入院患者であり、北陽病院事件は参考にならない」と主張したが、控訴人矢野は野津純一氏に対していわき病院が行った精神科開放医療そのものを問題とせず、外出許可の前提となった精神科医療行為に過失があったと指摘している。
いわき病院と北陽病院事件では病院側の過失責任を問う根拠は異なっている。いわき病院の場合は、行われた精神科医療の内容に過失性が問われるが、北陽病院事件では北陽病院の精神科医療そのものは問題とはならない。しかし、「病院外における患者の殺人行動と、病院の責任を結ぶ直接因果関係の論理」は、いわき病院事件と同質・同等であり、北陽病院の判例を本件裁判で参考とすることは可能である。
(2)、北陽病院事件の横浜地裁判決
北陽病院の場合は、犯人は無断離院して、盗んだ車を運転して事故も起こさずに駅まで行き、無賃乗車を発見されることなく500キロ先の横浜に到達して、4日後(昭和61年4月23日)に通り魔殺人で警察官を刺殺した。北陽病院はいわき病院のように治療ミスがあったわけでもない。列から離れて、路上駐車の車を奪い逃げてしまって追いかけられなかった無断離院を防ぐ計画を持たず許してしまったことで、通り魔殺人が発生したことに対する責任の損害賠償が確定した。
【判決】横浜地方裁判所
平成元年(ワ)第676号 判決日 平成4年6月18日
(三 争点3(因果関係)について
被告は、本件殺人事件はIの自由意志に基づき実行されたものであり、Iの病状等の事情に鑑みると、本件無断離院と本件殺人事件の間には相当因果関係を認めることができない旨主張するので、この点について判断する。
証拠(〈書類番号略〉)によれば、本件殺人事件当時、Iは精神分裂病の影響で、自己の行為の是非善悪を弁識し、これに従って行動する能力が著しく低下していたことが認められるから、本件殺人事件がIの自由意思に基づく犯行であったという被告の主張はその前提を欠くものである。そして、前記−3で認定したとおり、本件無断離院当時において、Iが離院した場合、財産犯の過程で他人を殺傷する蓋然性は高いことが予見可能であったと認められるから、本件無断離院と本件殺人事件の間には相当因果関係があったと言うことができる。
以上の事実によれば、本件殺人事件は被告の公務員である遠藤、小井田らの職務の執行に関する過失により生じたものということができるので、被告は国家賠償法第1条第1項に基づき本件殺人事件により原告らに生じた損害の賠償責任を負わなければならないものである。
上記を整理すれば、以下の要素を抽出できる。
- 北陽病院事件では、通り魔殺人の被害者が事件に遭遇せず生存する可能性の証明を求めていない。しかし、高松地裁判決(P.46〜47)では、被告のいわき病院側は、原告に対して「その主張する過失がなければ亡真木人に発生した死亡結果を回避できたことを80〜90%以上の確率をもって具体的に想定できていない」として、病院に過失はないことはもちろん、法的な因果関係は認められないと主張した。これはあり得ないことの証明を求める非常識で、かつ、この論理は因果関係と関係ない、全く意味がない主張である。
- 北陽病院事件では、無断離院中の精神障害者に十中八九の殺人危険率という「高度の蓋然性」の論理を持ちだして、直接因果関係を証明するための前提条件と要求していない。このような高率の殺人危険率は現実にはあり得ない仮定の条件である。なお十中八九の殺人危険率という過失認定に関する数値基準は、いわき病院代理人が今回の裁判で始めて提出したものであると考えられる。
- 北陽病院事件では、患者が行う可能性がある推測の危険性の認識を病院が持つことが当然との論理で病院側に過失責任を認めた。いわき病院は任意入院患者であれば、「自傷他害の危険性を考慮することはできない」として精神科開放医療を実施する上では義務である、患者の行動の危険性を推察・予測すること(結果予見性)を否定した。従って、当然病院は結果回避可能性があったにもかかわらず、結果回避のための行動を何もしていなかった。
北陽病院判決では直接因果関係の証明で、現実性がない非常識な要求を行わず、常識的な認識で北陽病院の過失責任を認めた。しかしながら、本件裁判では、被控訴人のいわき病院側から、因果関係の証明に関して合理性が乏しい、外出許可者の内10人中7人までが殺人を行うことを容認した非人道的で極めて頑迷な主張が行われ、それが高松地裁判決では通用した。
(3)、精神科専門医の本分を忘れたいわき病院の弁明
いわき病院代理人のKM弁護士は「本件と北陽病院事件は異なり、北陽病院事件は既判例とならない」との主張である。
ア、北陽病院の患者は措置入院であったが、純一はいわき病院に任意入院していた。
イ、北陽病院の患者は無断離院したが、純一は許可外出中であった。
そもそも入院患者が行った殺人行動に関連して、措置入院であれば病院に責任があるが任意入院では責任は問えないという論理は無い。入院患者の治療と看護などの医療で病院側に殺人事件に先だった医療の過失や事件を誘発した原因があったか否かである。平成17年11月23日以後のいわき病院の医療は野津純一氏に他害衝動を誘発する可能性が極めて高い上に、入院治療の常識である経過観察を行わないものであった。更に、無断離院には病院に責任があり、許可外出の場合は病院に責任を問えないとする論理は本末転倒である。いわき病院が任意入院患者であれ、患者の病状を確認することなく外出許可を出したことには過失責任が問われる必然性がある。
いわき病院代理人は「北陽病院は、措置入院であり、任意入院とは違う」と主張した。北陽病院の事例のように、「過去に犯罪があり服役もした措置入院患者」と、野津純一氏のように「過去に暴力行為歴はあるが入院時に措置入院でない者」との違いを主張した。現実問題として、科学的/精神医学的には両者に全く違いは無い。共に、反社会行為と行動を行う可能性を過去歴が示している。また、いわき病院が野津純一氏に行った複数の向精神薬を同時に突然中止した薬事処方変更は攻撃行動を行う危険性を極めて亢進したが、いわき病院は「他害行為を考えられない任意入院患者」と主張して、「制度的な建前の違いで反論」してきた。これはいわき病院が精神医療専門家として、医師の責任で患者観察をしていないことを自白したものであり、野津純一の暴力行為をまじめに調査していないことを証明する。当時の野津純一氏は一般の措置入院者よりも、いわき病院が行った医療が原因で攻撃性が亢進していた。いわき病院には当該患者が他人に危害を及ぼすことに結果予見性を持たず、結果を回避する対応を行わない過失があった。
(4)、いわき病院の過失責任
いわき病院は精神科専門病院であり、放火暴行履歴を有する統合失調症患者の離脱時の重大な危険性の認識を有することが当然である。また、統合失調症患者野津純一氏の自由意思は2種の向精神薬の同時突然中断により著しく減退され、特にパキシル突然中断により不安、焦燥が高まり攻撃性が亢進された状況にあった。本件裁判では、因果関係の認定を常識的な合理性に基づいて認定することが求められる。
- 北陽病院は入院患者の治療において過失性は認められない。他方、いわき病院は、直接の治療において大きな過失がある(主治医である渡邊朋之医師の判断が誤っており、患者に自傷他害の衝動を亢進して、危険な状態に追いやった。従って、いわき病院の責任はより重い)。
- 発生した殺人事件と病院の過失(危険な状態の患者を監視・保護せず管理者の手の届かない状態にした)との因果関係の接近性は、時間的、場所的にみて、いわき病院の方がより密接である。
- 殺人事件の発生は、患者が北陽病院から離れて4日目である。仮に1ヶ月も離れて、犯人が沖縄にでも行って事件を起こしていたら、その事件で病院の責任を問うことは困難となっていたと推察される。いわき病院の場合は、病院が外出を許可してからわずか14分後の病院近隣で発生した事件であり、外出許可と事件発生との因果関係は濃密である。
- 北陽病院は、脱走した患者を追いかけたり、探したりした。しかしながらいわき病院は事件発生に気付かず、返り血を浴びて帰ってきた患者の異常を発見せず、食事を取らない患者の行動の変化に注目せず、事件の翌日も漫然と外出許可を出した。事件直前に野津純一氏の顔面に赤黒い瘢痕(根性焼き)があることが目撃されていたが、その後いわき病院内で野津純一氏は25時間過ごしたが、誰も発見していまい。いわき病院は入院患者に定期的に行うべき日常の観察すら満足な水準で行っておらず、いわき病院の患者管理が北陽病院より劣っていることは明白である。
- いわき病院の場合は病院から外出直後の事件であり、病院内で直接的な原因となる何かがあったと考えるのが普通である。
いわき病院の精神科医療は拙劣で精神医療専門家として当然行うべき常識的な医療を行っていない。精神科医療の過程で発生した殺人事件については、病院が、診断もせず、チェックもせず外出を許したことが管理者の過失であり、北陽病院と同じく過失責任が問われることが正当である。いわき病院は、「何も知らなかったから、過失はない」と言い訳をしてきたが、いわき病院は専門精神医療機関であり、渡邊朋之医師は素人ではなく精神保健指定医の専門家であり、ホテルの管理人ではない。いわき病院第2病棟アネックス棟が精神科開放病棟であり、野津純一氏が任意入院患者であるとしても、そのことは「ホテルの管理者の弁明」を許す理由とはならない。
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