「1564」(ヒトゴロシ)には「1616」(イロイロ)ある。
シェイクスピアを教養として、または英語のテキストとして1564年生誕と1616死去の年代まで覚えて学んだ真面目な日本人にとって、「絢爛豪華 祝祭音楽劇」を謳う井上ひさしのこの作品はまさに衝撃。セックスと暴力、駄洒落、語呂合わせなど言葉遊びの極み。もっとも、シェイクスピアの時代の芝居小屋は猥雑で下世話なものだった。
「天保十二年のシェイクスピア」の台本冒頭に「この戯曲を宝井琴凌とシェイクスピアに捧げる。宝井琴凌の「天保水滸伝」をはじめとする侠客講談を父とし、シェイクスピアの全37作品を母としてこの作品は生まれたからである」と作者は記している。講談を縦糸にシェイクスピア戯曲37作品の横糸が筋書き、台詞、エピソードとしてこれでもか!と盛り込まれている。天保1840年代の話を2020年の観客に繋ぐため、墓堀りの百姓に高橋一生が務めるAGCコマーシャルの変則蟹歩きで登場させるサービスもある。
冒頭は「リア王」から。天保年間下総国清滝村の宿場には二軒の旅籠が向かい合っており、リア王、鰤の十兵衛(辻萬長)が仕切っているが、老齢で隠居するにあたり全財産の旅籠二軒を自分に最も孝養を尽くす娘に譲るという。長女お文(樹里咲穂)、次女お里(土井ケイト)は甘言を尽くしてそれぞれ旅籠を一軒ずつ相続し、やがて夫とともに一家を立てる。お世辞をいえない貞淑なコーデリア三女お光(唯月ふうか)は、父の怒りに触れ家を追い出されてしまう。
やがて天保12年、二人は亭主を巻き込んで清滝村を二分する骨肉の争いを繰り広げる。
そこに現れたのはリチャード三世にあたる、無宿者の佐渡の三世次(高橋一生)。四肢は曲がり醜い顔つき。「マクベス」の魔女、清滝村の老婆(梅沢昌代)に唆されて清滝村を乗っ取ろうと企んでお里の一家にはいりこむ。「老婆は一日にしてならず」などと嘯く梅沢は、桶屋佐吉の母など重複する役柄で存在感を示す。
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佐渡の三世次(高橋一生) |
シェイクスピア「ヘンリー六世」ではリチャード三世は身体障害者で(せむしという言葉は差別用語なので使えない)、醜い代わり自分は口だけは達者だとシェイクスピア戯曲最長のモノローグを述べるが、「天保十二年のシェイクスピア」では三世次は恩人でもあるお里の愛人幕兵衛を裏切って飯岡の助五郎、笹川の繁蔵、大前田の栄五郎、国定村の忠治、清水港の次郎長ら関八州親分衆の前で褒め殺す。高橋一生の長口舌が実に見事で本人も楽しそう。
「ハムレット」と「ロメオ」が融合したのがきじるしの王次(浦井健治)。許嫁のオフェリア、お冬(熊谷彩春)を捨てて女侠客として村に戻ったお光を求める。このお光は実は貰い子で双子のおさち(唯月ふうか 二役)が新しく赴任してきた代官の妻になっているのがまたしても混乱の元。
時代と国籍は異なっても、同じ戯曲作者としての井上ひさしのシェイクスピアへの挑戦は膨大で精力的だ。筆者は幸運にも今回この舞台を二度にわたって観劇する機会を得たが、初回は「シアター通」として、各場面での台詞がシェークスピアのどの作品に関連しているかを頭脳が自動的に検索するお勉強時間だった。
二度目は「シアター好き」として、隊長(木場勝己)の狂言回しで役者らしい役者たちが舞台を生き生きと務めている藤田俊太郎演出を楽しんだ。藤田は当初の井上作品から30分カットしたということだが、当初の4時間半の戯曲は観客イジメだ。
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左より、尾瀬の幕兵衛(章平)、佐渡の三世次(高橋一生)、隊長(木場勝己) |
ちなみに公益社団法人日本外国特派員協会(プレス・クラブ)の公用語は英語。「公益」精神で “Saturday Lunch with Shakespeare”講座は会員外の参加者も歓迎している。4月は「ロメオとジュリエット」。希望者は電話(03-3211-3161)まで問い合わされたい。(東京・日生劇場2020年2月8日~29日/大阪・梅田芸術劇場メインホール3月5日~10日)
2020.2.26 掲載
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