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ミュージカル「ノートルダムの鐘」

ミュージカル観劇に向かう時、予測していたものと現実の舞台が大きく変わることはほとんどない。映画や演劇で過去何度も取り上げられていたが、新作ミュージカル「ノートルダムの鐘」も文豪ヴィクトル・ユゴーの世界的古典で、ノートルダム大聖堂の鐘楼に住む醜悪なセムシ男の美しいジプシー娘への悲恋に横恋慕するカソリック司祭とハンサムな警備隊長がからみ陰鬱な結末となる話だと覚悟していた。

ところが第一幕から己の想像力の乏しさに気付かされた。これはユゴーの作品に発想を得たディズニーと劇団四季の、民衆の差別意識を指摘し、人間愛を歌い上げる極めて今日的な作品になっている。昔、ノートルダム大聖堂を訪れた時、復元された数々のステンドグラスの中に、一つ現代美術の作品が入っていた。それが違和感なく荘厳な寺院の内装にマッチしていて感激したが、このミュージカルはヴィクトル・ユゴーの古典に現代の窓を開けた作品と言えるかもしれない。

ミュージカル「ノートルダムの鐘」
エスメラルダの来訪を受けて歓喜するカジモド(飯田達郎)

冒頭舞台に現れたのはどこにでもいそうなごく普通の若者(飯田達郎)。彼の背中に瘤の詰め物を負わせ、肢体を歪め、顔に泥を塗り古ぼけた上着を着せるとノートルダムのセムシ男カジモド(「出来損ない」を意味する)が出来上がる。民衆の彼を見る目が侮蔑と憎悪に代わる。

また、従来の諸作品では猥雑で官能的なジプシー女と描かれていたエスメラルダは自由を愛する自立した女性として登場する。岡村美南のエスメラルダは歌と踊りの抜群の力量に加えて短剣を遣っての格闘技の切れ味も素晴らしい。最後に背筋を伸ばした凛とした姿で舞台を立ち去る姿はまさにカッコいい。

ミュージカル「ノートルダムの鐘」
エスメラルダ(岡村美南)に誘われ「道化の王」になったカジモド(飯田達郎)
見つめる僧服のフロロー(芝清道)

フィナーレでは愛するエスメラルダのために警備隊長を助け主人の聖職者に反抗したカジモドは、背中の瘤の詰め物を外し四肢を伸びやかに広げる。彼は再び普通の、しかし勇気ある青年として観客と向いあう。

一方、彼を取り巻く偏見に満ちた民衆は、肢体を醜く曲げ顔に墨を塗った群衆となっている。

ミュージカル「ノートルダムの鐘」
警備隊長フィーバス(清水大星)の死を悲しんで弔鐘を鳴らすカジモド(飯田達郎)

このプロローグとフィナーレの青年の姿が次期米国大統領ドナルド・トランプ氏の選挙戦や難民・移民問題で分断された国際社会に対するディズニーと劇団四季のメッセージを象徴するものではなかろうか。アラン・メンケン作曲、スティーヴン・シュワルツ作詞、高橋知伽江による日本語台本・訳詞の音楽と荘厳な舞台装置がこの提言を見事な芸術作品に昇華させている。(於:四季劇場「秋」12月10日/秋劇場の公演は2017年6月25日まで)


2016.12.21 掲載

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