子どものために買った絵本の寓話性と大胆な筆使いに買った大人が深く引き込まれてしまうという佐野洋子作・絵の200万部突破ロング・セラー『100万回生きたねこ』。子どもたちと「生と死」について考える学校の教科書にもなっている。
この絵本がイスラエル出身のインバル・ピント、アブシャロム・ポラックの演出・振付・美術によって融通無碍の無国籍、ユニークなミュージカルとなった。今回改めて両者を招いて再構築した公演は、成河(ソンハ)のねこ、深田恭子の白いねこと個性派揃いの脇役、ストリート・ミュージシャンばりのバンドによって完成度が高くなっている。
何よりも成河の大胆かつ精緻な動きは正に「猫」。一瞬にして壁を駆け上り床を転げる。一つ一つの動きが滑らかで、しかも傲慢不遜だ。
深田恭子は女の子なんかになりたくなかった我儘な存在と、ねこの愛を信じて安らかに命を終える白いねこの姿を素直に演じ分ける。
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野良猫(成河)と白い猫 (深田恭子) |
ストーリー
第一幕では、ねこは王様のねこになって矢に当たって死に、船乗りのねこになって海に落ちて溺れ死に、泥棒のねこになっては犬に噛み殺され、手品使いのねこになっては間違って鋸で真っ二つにされる。老婆のねこになって老衰で死んでも、女の子の毛糸玉の赤い毛糸に首を絞められて死んでも復活。周りの人々は泣いて悲しんでも、自分しか愛せないねこは平然としている。そしてある日ねこは誰のねこでもない立派な野良猫のトラ猫となる。
第二幕では、メス猫たちがトラ猫のお嫁さんになりたくて次々と贈り物を持ってやってくるが、彼は相手にしない。たった一匹見向きもしない白い猫が気になって宙返りの芸を見せたり、「100万回死んだんだぜ」と言い寄るが、白い猫は「そう」と言ったきり。自分しか愛せなかったトラ猫はそんな白猫を愛してしまい、白い猫に寄り添って生き抜く。或る日、動かなくなった白い猫を悲しんで初めて涙を流し、そのまま100万1回の死を迎えもう一度も生き返らない。
深田恭子の歌うロケット・マツ作曲の「女の子なんて」、「一日と永遠」、成河とのデュエット阿部海太郎作曲「君といたいよ」が印象に残る。
普遍的なテーマに加えて綿密に計算された舞台美術と創作ダンス。数少ない台詞は日本語以外に翻訳されても違和感はないし、俳優が日本人である必要もない。ミュージカルは日本の圧倒的輸入過多だが、日本とイスラエルのコラボレーション作品として海外進出が期待される。
夜、帰宅したら玄関まで迎えに来たシャム猫はいつものように「偶然、通りかかたまで」と言いたげな様子を見せて去っていった。人間は猫を愛するが、猫は常に人間からクールな距離を保とうとしているようだ。〔東京公演:8月15日〜30日(東京芸術劇場)、金沢公演:9月3日〜4日(本多の森ホール)、大阪公演:10月2日〜4日(シアターBRAVA!)〕
2015.9.3 掲載
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