秋風が立ち始めると、あの喧騒だった夏の祝祭が妙に懐かしくなる。
「裏が表か、表が裏か?」ジョン・ケアード演出の「夏の夜の夢」(作ウイリアム・シエイクスピア、翻訳松岡和子)は、まさにそんな仕掛けが光る作品だ。
シェイクスピアの時代の芝居は作者が芝居小屋の株主を兼ねていたため、観客動員のため同時代の人気作品のパクリやコラボレーションが普通に行われていた。ケアード演出でも、アテネの公爵シーシアスとアマゾンの女王ヒポリタと若者二組の婚礼パーティーの場では、突如音楽がチャイコフスキーに変わり「四羽の白鳥」が揃ってステップを踏み、プロコフィエッツの「ロメオとジュリエット」まで飛びだして観客を沸かせる。
公爵シーシアスと妖精の王オーベロンの二役を演じる村井国夫の重厚な演技が舞台を引締め、女王ヒポリタが妖精の女王ティターニアに代わるとオッカナクテ、可愛いいトボケタ味をだす麻美レイがこれまた楽しい。狂言まわしのパックまたはロビン・グッドフェローを演じるチョウソンハが、道化役の歓びと宴の後の哀愁をじんわりと観客に伝える。
お話は三重構造の入れ子になっている。一重目はアテネの貴族社会。公爵と女王の婚礼準備が進む中、公爵の家臣イジ—アスの娘ハーミアは親が決めたディーミトリアスとの結婚を拒否して、相愛のライサンダーと妖精のすむ森へ駆け落ちする。
二重目の森では公爵が妖精の王オーベロン、アマゾンの女王がこれまた妖精の女王ティターニアとなり、二人は寵愛する小姓をめぐって喧嘩している。ここにハーミアを求めるディミトリアスが駆けつけ、さらに彼を慕うヘレナが加わり森は大混乱となる。
三重目はアテネの庶民社会。婚礼の余興芝居に招かれた大工クインス、機屋ボトムなど五人の職人たちはこの同じ森で芝居の稽古を始める。パックがオベロンの命令で目覚めて最初に目に映ったものに惚れ込む薬を眠る女王にさすと、目覚めた女王はロバの頭をつけた機屋ボトムに首ったけとなる。
一方、パックは誤ってライサンダーにも惚れ薬を差したため、片思いで自分を追いかけてきたヘレナに恋することになる。
職人たちは婚礼のレセプションの場の芝居に先立って、舞台の仕組みを列席の貴族、諸侯にあかし、「夏の夜の夢」のフィナーレでは舞台装置を反転して裏側を見せたステージにパックが現れ、「いたらぬところは目をつぶり、お許しいただけますなら正直パックの名にかけて、この次はお気に召すようつとめます」と口上を述べる。
新国立劇場の出し物に相応しく、役者もスタッフも豪華絢爛、舞台装置は裏側まで洗練されている。チケットの売り上げに一喜一憂する商業演劇と違って国などの助成がサポートするので、インテリでぺダンチックな観客に向けた作品も安心して上演できるのだろう。(6月2日 新国立劇場)
2009.9.2 掲載
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