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ミュージカル 赤毛のアン

世界中の男の子の「相棒」がトム・ソーヤーなら、世界中の女の子の「腹心の友」はアン・シャーリーだろう。国際会議で世界各国から集まった初対面の女性ジャーナリストやNGOのリーダーたちとカナダの移民政策や環境保護問題のトンガッタ議論をしていて偶々プリンス・エドワード島に話題が広がると「あなたもアンの腹心の友だったの?!」とお互いに確認しあって急に雰囲気が和らぐ。お互いの論理に賛同するわけではないが、少なくとも情緒面では共通の繋がりがあると認識できるからだろう。

ミュージカル「赤毛のアン」(演出 浅利慶太)の原作L. M.モンゴメリーの"Anne of Green Gables"(緑の切妻屋根の家のアン)は初版1908年、村岡花子の名日本語訳が出版されたのは1952年だ。トム・ソーヤー派で少女小説は読まなかった筆者に、妹の友人は「だまされたと思って読んでみて」と岩波文庫版を押し付けた。

読んでみると面白くてやめられない。催促すると3巻、4巻、続編が出るたびに妹に届け、「あなたの方が読む速度が早いから」と7巻目8巻目は本屋の帰りに私に直接持参してもらう始末。そんな彼女に「カナダに行くならプリンス・エドワード島まで行って」といわれて断れるはずはない。1962年晩夏、モントリオールから長距離バス、汽船、さらにおんぼろ車を乗り継いでアンの家にたどり着いた。

赤毛のアンの家とお馬さん

舞台上の「緑の切妻屋根の家」は本物の雰囲気をよく伝えている。(装置・衣装 三宅景子)アンが眺める「雪の女王」の大木、スグリ酒で「腹心の友」ダイアナを酔っ払わせるキッチン。いずれも素朴で懐かしい。

なかでも傑作はマシューの愛馬。道産子より太めで大きな目に愛嬌があり、二人を乗せた馬車を引っ張って舞台に出てくると観客席の子どもたちから歓声と拍手が巻き起こる。前回は撮影のため島を車でまわったが、次回はのんびりとこんな馬車で観光したい。お馬さんには一度だけでなくもう一度くらい出番がこないものなのか?

日下武史のマシューのアンに対する態度は少女期に達した初孫に振り回されながらも喜んで全面的に受け入れている祖父のように寛容だ。実用一点張りの衣服を着せるマリラの意向に反してアンの好きなパフ・スリーブのドレスを購入するまでの必死の応対は笑わせるし、夕映のなかロッキング・チェアーで静かに死を迎える姿にはジーンとくる。末永くマシュウを演じてもらいたい。

木村不時子のマリラは、愛する男性の謝罪を素直に受け入れなかったために一生独身ですごすことになった頑固な老嬢だ。それが新しくアンという愛情の受け手が現れたおかげで、ユーモアを解し若者の厚意を素直に受ける円熟した老女となる。スコットランドからカナダに移住してきてキリスト教信仰と奉仕活動で過ごした背景を観客によく伝えている。

アン・シャーリーの吉沢梨絵はギルバート相手の立ち回りや大仰な動作だけでなく、もっと彼女本来の品の良さを出してもよいのではなかろうか? 朴訥でしかも意固地なマシューやマリラ兄妹がアンを受け入れたのは、単に彼女の境遇に同情したからではない。彼女の心にある孤児として過ごしても卑しくならなかった「優雅さの閃きと毅然とした姿勢」を認めたからではなかろうか。原作では巻を重ねるごとにアンの女性としての品性が表れてくる。

ちなみにAnnまたはAnneというのは英米でよくある名前。原作ではAnne Shirleyも自分の名前に「e」が付いていることを強調する。私の腹心の友のAnneは「Anne with"e" as in Elegance」とニッコリする。

「赤毛のアン」はこども、両親、祖父母の三世代で楽しめるミュージカルだ。春休みのお出かけカレンダーに是非記入しておきたいものだ。
(四季自由劇場 6月11日まで)

2008.4.05 掲載

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