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新国立劇場 オペラ 黒船-夜明け

日米修好条約調印150年の節目に新国立劇場オペラ芸術監督に就任した若杉弘が山田耕作作曲の「黒船ー夜明け」(原作パーシー・ノエル)を指揮した。演出は栗山昌良。彼の決断で1940年初演時にはカットされていた「序景下田の盆踊り」も加えられ、日本初のグランドオペラのこれまた世界初全幕上演となった。

藤原義江の愛唱歌「カラタチの花」や童謡「待ちぼうけ」を思わす懐かしい耕作メロディーが随所に歌われて日本人の観客は思わず嬉しくなってしまうが、虚無僧姿の浪人(三橋貴風)が奏でる尺八が全体の流れが甘くならないように要所要所を押さえている。舞台設計が大胆で(美術・松田るみ)ホリゾントには勇壮な常磐の松が時代を超える存在感を示し、領事館でもある玉泉寺の場では、庭の紅葉と公孫樹が見事に役柄を演じている。

民族人種を超えて領事に愛を告げるお吉の決心を示す時、紅葉は真っ赤に燃え上がり、勤皇に徹した浪人吉田が武士の美学で切腹する時、その肩には公孫樹が黄金の葉をハラハラと降り散らす。ベテランの指揮・演出から若手の美術に至るまで、国立劇場ならではの豪華なオペラ製作である。

特徴的なのは昭和初期に創られたこのオペラの女性観・国家感に今日でも通じる新しさがあること。ヒロインのお吉は、彼女を利用して領事暗殺を命じる尊王攘夷派浪人のシンパ(同調者)から国家の枠組を超えて愛に生きる自立した歌い女と設定されている。

お吉「姐さん教えてくださいな
領事をお吉の手にかけて
お国の不和をなくすのが
道理にかなうことでしょか
姐さん教えてくださいな
乙女心をふりすてて」・・・・

姐さん「吉ちゃん お行きよ 玉泉寺
そこで暮らすが 浪人の
剣をのがれる分別よ」

お吉(腰越 満美 ソプラノ)と彼女の養母姐さん(坂本 朱 メゾソプラノ)のデュエットに満場の拍手が送られる。

耕作を親元から引き取り、上野の音楽学校にまで入れた育ての恩人は姉のガントレット・恒子。彼女は熱心なクリスチャンで婦人解放のために時間を割くことを条件に英国青年エドワードの愛を受け入れ、日本初ともいえる国際結婚をしている。

当時、外国人と結ばれる女性は世間から「洋妾」扱いされたが、彼女は筋を通すため区役所が結婚届けを受付けないと分かると、一度英国に帰化し結婚承認書を得たのである。その後、改めて日本に帰化し直して、岸登恒子と名乗り、日本キリスト教矯風会の中興の祖として売春禁止と平和運動に身を捧げた。

お吉を下田の飯盛り女(下級芸者兼娼婦)とする従来のお吉像に組することは、耕作の姉への尊敬の念が許さなかったのだろう。

巷間に伝わる「駕籠で行くのはお吉じゃないか 下田港は春の雨 泣けば椿の花が散る」西条八十の流行唄が伝えた体制の犠牲となり異人に身を売る観念的な洋妾のイメージをガラリと変えたオペラ「黒船」のお吉像に、下田から石井直樹市長夫妻と共に総見にきた女将さんたちも満足そうであった。

姉妹都市ロードアイランドと米国海軍第七艦隊を迎えてこの5月も例年通り下田黒船祭りが行われる。玉泉寺の墓前で軍楽隊の演奏、了仙寺の「調印式」パフォーマンスなど恒例のプログラムが実施される。

巨額の制作費をかけたオペラ「黒船」はいずれ国際交流事業の一環としてワシントンのケネディー・センターやニューヨークのリンカーン・センターのオペラ劇場で公演されるのだろうが、「地産地消」の芸術として下田でもコンサート方式なので上演できないものだろうか? 因みに山田耕作の下田取材を案内したのは、石井直樹現下田市長の実父森一(もりはじめ)氏である。
(2008年2月23日)

2008.3.3 掲載

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