春のコクーン歌舞伎の「三人吉三」、夏のニューヨーク・リンカーンセンターでの英語台詞まじりの「法界坊」公演で、若者や外国人観客を開拓し日本歌舞伎を売り込んだ勘三郎がこの秋は新橋演舞場10月公演の昼夜出ずっぱりで従来からの日本観客に「これでもか!」と役者の意地を見せた。
昼の部は歌舞伎ラインで「平家女護島俊寛」(近松門左衛門作)の俊寛、「連獅子」(河竹黙阿弥作)の親獅子の精、それに「人情噺文七元結」(落語三遊亭円朝口演・山田洋次監督補綴)
の左官長兵衛。夜の部の新作「寝坊な豆腐屋」では40過ぎても独身の東京下町の豆腐屋。
俊寛
「平家にあらずんば人にあらず」と専横を極めた平家一門を打倒しようと鹿ケ谷で密議を重ねた御白河院側のキーパーソン、俊寛僧都、丹波少将成経、平判官庚頼の3人は清盛の命令で鬼界ヶ島へ流される。諦観して孤島で暮らす筈の俊寛も次々と異なる感情をあらわにする。成経が海女の千鳥と恋仲になったと知って盃事で祝す喜び、島を目指した大船を目の当たりにして心驚く期待。赦免状に自分の名前がないと知っての失望、改めて新しい書状に名を発見しての安堵感。
更に愛妻東屋の打ち首を知って乗船の枠を千鳥に譲るものの、遠くに去る大船を見送る
壮絶な孤独感。勘三郎俊寛の「意識の流れ」が観客の気持ちを大きく揺さぶる。
連獅子
これは贅沢な親子共演。父勘三郎の親獅子に勘太郎、七之助兄弟が絡んで、舞踊る胡蝶を追いかけ更に牡丹の花に戯れる。親子の獅子が長い毛を左右に揮う「髪洗い」ぐるりと回転させる「巴」髪の毛を舞台に叩きつける「菖蒲叩き」の華麗な毛ぶりの後、三人が夫々の獅子の座に極まると客席の方々から「中村屋!」の声が飛ぶ。
文七元結
娘が父の博打道楽を諦め、義理の母親の窮状を見かねて吉原の郭に自ら身売りした50両(現在の価格では約250万円)もの大金を「身投げを止めるため」といって売掛金を掏られた赤の他人の小間物屋手代文七にくれてやるなんて「シンジラレナーイ」。しかも実の父親でありながら「娘は少しぐらい泥水をかぶってもよいだろう」という理由は今の世間では到底受け入れられる話ではない。
もっとも掏られたと思ったのは文七の誤解で、50両は売り掛け先から届けられており、理解ある小間物屋の主人が娘を身請けして、娘の気持ちも汲んで手代と結婚させてくれる。晴れて分家する文七は自ら工夫した元結の販売で成功を目指している。
「歌舞伎は女性蔑視、人権無視」だから見ないという歌舞伎嫌いの人たちも多いが、だらしないけれど人情深い勘三郎の左官長兵衛が迷いに迷いつつ懐の金を渡す姿に現在の歌舞伎客は「人命を救うための緊急処置」だったと納得されてしまうようだ。
寝坊な豆腐屋
「父 帰る」ならぬ「母 帰る」である。36年ぶりに姿を見せた母親(森光子)を迎える
40過ぎても独身の寝坊な豆腐屋のひねくれた思い、母親の失踪の本当の原因と
36年間友人の手紙と絵で見守ってくれた真相を知って湧き上がる母への思いを勘三郎が
昭和の東京下町を背景にみせる。
「地上げ加担の金貸し」との息子の誤解を解かぬまま東京を去る前にタバコを蓮っ葉に銜えながら夕焼けを眺める光子。小柄な姿にずっしりと存在感がある。事情を知った勘三郎が「おっ母ー!」と呼びかける。
「おっ母」と一度言ってみたかったのだという勘三郎に背負われながら花道を引き上げる
二人の名優に観客席を揺るがす拍手が送られるのである。
千秋楽までもう日数があまりない。大至急駆けつければ勘三郎・森光子の初めての共演を楽しめるかもしれない。(新橋演舞場公演中 10月26日まで)
2007.10.26 掲載
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