案内係も演劇人
子どもたちとお芝居を見るのがこんなに心温まる体験になるとは思っても見なかった。
ガラス・ボックス席から舞台を眺めていた小学生の女の子が引き寄せられるように身を乗り出し、ついにガラス窓に鼻をくっつけんばかりにしてユタと座敷わらしたちを見つめている。舞台冒頭ユタがいじめっ子たちに蹴られたり首を絞められているのが「怖い」と両手で顔を覆い私の肩で泣きだしたうえ、中途退場してトイレに駆け込んだ小学三年生の女の子が、である。
それにしても四季の案内係の接客ぶりには感心した。暗い扉の傍らで観客の背中から次の動きを察し出口に誘導、中途再入場を避けてロビーでテレビ観劇して幕間まで待とうとしていたところをさりげなくボックス席へ案内。相客が赤ちゃんを抱いたお母さんで、その上ガラス窓という防壁があるので安心したのか、女の子は今度は両目をしっかり開いて舞台を眺め、次第に舞台に引き込まれていったのである。
「演劇の感動」を伝えるのは舞台に立つ役者とそれを支える裏方ばかりではない。無神経な案内係や売り子のせいで折角の舞台の感激をしらけさせた経験もある。劇場という非日常の空間で観客をもてなす接客係の資質が重要なことを改めて感じた。劇評そのものには関係のないことかもしれないが、「シアター通よりシアター好き」、シアターを愛する筆者としては特記しておきたい。
座敷わらし
さて肝心の「ユタと不思議な仲間たち」(企画・演出 浅利慶太 原作 三浦哲郎)のストーリーだ。父親を亡くした勇太は、東京から母の実家がある東北の田舎に引っ越してくる。田舎の子どもたちに「勇太」ではなく地元言葉で「ユタ」と呼ばれる都会子は、毎日リンチまがいの執拗なイジメをうける。殴る、蹴る、鞄のベルトを首にかけて数人で首を絞める。迫力満点の舞台で連れの女の子たちの一人が泣き出した。
ユタの味方は子守をしながら学校に通う小夜子と寅吉じいさんで、じいさんは「満月の晩に大黒柱のある旧家に一人で泊まって、座敷わらしと出会い友達になってみろ」と勧める。
レーザー光線 土砂降りの雨 空中遊泳
座敷わらしとは東北地方の民話にある、貧困のため飢死したり間引きされ、この世で生きることが叶わなかった赤ん坊の霊で「イジメで自殺まで考えている」という勇太を叱咤激励し、生きることの素晴らしさを伝える。わらしたちの予言で梅雨を言い当てた勇太へはクラス仲間の見方が少し変わってくる。
舞台一面に飛び交うレーザー光線と客席まで飛沫の掛かりそうな本水の雷雨に客席の子どもたちは「ああ!」「ワーすごい!」と大喜び。ビデオゲームのチビッチャイ場面のピカチューの迫力とはスケールが比べものにならない驚きだ。
大人たちにとって、日本の貧しい時代の座敷わらしは暗い重い存在だ。しかし、四季ミュージカルは子どもたちにそのわらしの自由な超能力者としての一面を明るく軽やかに見せる。ラスベガス直輸入ピーター・フォイ氏の空中マジックだ。
「今泣いたカラス」ではないが、幕間休憩中に席に戻った女の子はお友達と手を握り合って、ユタと五人の座敷わらしの舞台上空での急上昇、スピン、逆回転に大喝采!会場の子どもたちからも歓声が飛び、大拍手が捲き起こる。子どもたちの素直な反応に大人まで嬉しくなってくる。
座敷わらしたちは軟弱なユタに基礎体力をつけさせ古武道、空手など格闘技の特訓を授ける。ユタはもういじめっ子のリンチには負けない。それどころかケンカの仕方を知って敢然と戦う勇太にいじめっ子たちは一目置くようになる。ユタは座敷わらしが守ってくれたことを話すが、クラスの仲間たちにはその姿は見えない。
旧家の取り壊しを知った座敷わらしたちはユタに別れを告げ旅立つが、後に残ったユタは地元の子どもに仲間として受け入れられていた。
子どもと見れば二倍楽しい
東京公演千秋楽以後、この作品は全国各地に巡業する予定になっている。「イジメ問題」を考える教育委員会やPTAでも団体鑑賞の計画が進んでいるようだ。
筆者としては「ユタと不思議な仲間たち」は子でも孫でも友人の子でも周囲に子どもがいる大人たちにお勧めのミュージカルだ。子どもたちの興奮と感激が伝わってきて二倍ワクワクしてくる。
生まれて初めて見たミュージカルのプログラムをしっかり胸に抱きしめて帰宅する子どもたちを見送る時、また胸が温かくなった。(四季劇場「秋」5月27日まで)
2007.5.10 掲載
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