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四季ミュ−ジカル 「南十字星」— 戦後60周年記念再演—

昭和史の語り部

四季昭和史ミュージカル三部作の最終作品「南十字星」は三作品の中でテーマとして一番重く、舞台美術として一番華やかな作品だ。一観客の感想としては「李香蘭」では関東軍の無知無謀さを学び、「異国丘」ではスターリンの横暴さを怒ればよかったが、最後の作品では昭和天皇の戦争責任の取り方を改めて考えさせられる。

作中インドネシア日本軍指令島村中将は「フィリッピンで日本軍に撃退され恥をかいたマッカーサー元帥の復讐が最高責任者(天皇陛下)まで及ばないよう」にと処刑される。A級戦犯28人については数多くの著作、記事があるが四千人を超えるBC級戦犯については戦後60年たっても殆ど知られていない。

ストレイト・プレイでは一般観客はなかなか劇場に足を運ばない。日本の昭和史を戦後60年の節目にミュージカルという軽さで集客し、若者から中高年までの観客一人ひとりに最高責任者が責任をとれない体制のまま軍国主義に走った日本を改めて考えさせるのが歴史の語り部、浅利慶太氏の狙いであろう。

水は歴史を流れる

太平洋戦争前夜、琵琶湖から引かれた疏水の傍らで京都大学法科で学ぶ学生保科勲は、宗主国オランダからの独立運動に献身する父ニングラットを助けるため帰国するインドネシア人の恋人リナと別れる。二人は再会を約束し一緒に「ブンガワンソロ」を歌う。

中国との戦争が悪化し日本は英米蘭三国との全面戦争に突入し、勲は学徒出陣兵として姉の夫、原田の駐屯するインドネシアに出撃、日本軍はオランダ軍を撃退する。オランダ軍にとらわれていたニングラットを救出し負傷した保科は、リナと再会し手厚い看護を受ける。

オランダの支配から解放された村人たちは盛大に「火祭り」を開き、植民地時代に演奏が禁止されていた民族舞踊やガムラン音楽を楽しむ。舞台狭しと駆け巡る南国のライオン・ダンスとリナの踊りが村人の喜びを爆発させるようだ。舞台装飾が絢爛豪華で素晴らしく、これに対するにブンガワンソロをリナと唱和する勲の歌唱力が素朴でアマチュアぽいのも旧制三高出身者らしくて微笑ましい。

当初は解放軍として歓迎され現地司令官島村中将は温和な軍政をしいていた。しかし戦況が不利になると、大本営の方針に従い現地からの食料や労務の調達の強制を原田に認める。一方、捕虜の待遇に心していた勲は、誤解からオランダ人たちに捕虜虐待者として記憶される。

東京無差別空爆、広島長崎に原爆。皇居前広場に正座して天皇陛下の玉音放送を聞く人々。敗戦後、インドネシア義勇軍は宗主国オランダから独立するため日本軍の武器を求め、原田はこれに応じ自らも義勇軍に軍事顧問として参加する。

監獄で勲に再会した島村中将が、裁判は理不尽であろうとも、それが日本軍に惨めに敗れ軍人としてのエゴを打ち砕かれたマッカーサー元帥個人の天皇陛下への怨念と復讐心を和らげるためなら自分は甘んじて処刑される、と語る舞台は端正で美しい。しかし、主語と目的語をあえて明確にしない日本的話法が現代子に通ずるだろうか?生徒の団体鑑賞では引率の先生が解説する必要があるかもしれない。

恋人リナや勲に救われたオランダ兵の証言も虚しく、捕虜虐待や原田のインドネシア人への武器提供の罪をかぶり、保科勲は13階段を静かに昇ってゆく。満天の星空では南十字星が輝きをました。

処刑を前に勲に語る司令官島野中将

「南十字星」の舞台での「本水」の使い方は印象的だ。京都市が若い建築家を起用して琵琶湖から水をひいた日本の近代化の象徴「疏水」が恋人たちの最初の別れの場となり、舞台がインドネシアに移ってからは日本兵が現地インドネシア農民とともに田植えをする「水田」となる。最後には「ソロ河」から処刑台がせりあがり、勲が昇る13階段をその水滴が宝石を撒き散らすように流れる。

勲の学徒出征激励に歌われる三高寮歌「琵琶湖周航の歌」ももちろん「水」への想いがこめられている。

「行く川の水は絶えずして」歴史を流れ、人々は歴史に学ばずただ愚行を繰り返していくのだろうか。「そうさせてはならない」、浅利慶太氏は四季昭和史ミュージカル三作品を通して人々に訴えている。

「南十字星」の東京公演は1月15日で千秋楽となり、次回公演は京都で始まる(4月2日〜5月14日)。歴史的に「天皇さん」と適切な距離をおいている京都人や京都に学ぶ学生たちに是非この作品を鑑賞してほしいものだ。

2006.1.13 掲載

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