開幕は第二次世界大戦敗戦後強制労働のためソ連軍に極寒のシベリアに抑留された日本兵士の合唱から始まる。「涙さえ凍りつく最果ての地に・・・」 紗のカーテンに吹き荒れる雪で劇場内の温度が急激に下がるようだ。
あらすじと背景
「異国の丘」は四季昭和史ミュージカル第2作目で、中国との戦争を避けようと奔走した日本貴族九重秀隆と中国司法長官令嬢宋愛玲との恋を彩りに、日華事変からソ連参戦、軍部に懲罰召集された秀隆と日本兵士のシベリア抑留、敗戦までを描く。
秀隆がアメリカのカレッジライフを満喫するニューヨーク、陰謀の渦巻く上海での二人の平和工作、東京では軍部を抑えられない政治家と軍部に追従する新聞。場面が変化するごとにリーダーシップなき指導者によって日本人と日本国がどう流されていくのか浅利慶太版昭和史が展開される。
日本の敗戦が明らかになった1945年8月8日、日ソ中立条約を破って参戦したソ連はたった6日間の戦闘で60万人の抑留者をシベリアに拉致し、うち6万人が飢えと寒さで死亡。最後の帰国者が故郷の土を踏んだのは11年後である。
このミュージカルは西木正明著「夢顔さんによろしく」を元に日中戦争当時の首相近衛文麿氏長男の近衛文麿氏を秀隆のモデルとしている。テーマは重いが、そこは語り部のプロ浅利氏、エンターテインメントとしてもスリリングで楽しめるものとしている。
初回との違い
実は筆者はこのミュージカルの初回を2回観劇している。今回の公演と違いが目立つところは、ブルックリン・ブリッジを借景にしたカフェでのダンス。前回は1930年後半に流行したチャールストンだったが、今回は1940年代初頭に人気が出たジッタバックになっていて更に躍動的。オーディションで採用された中国人のダンサーたちの「滞空時間の長い」ジャンプが嬉しい。
ニューヨーク以来の九重の友人で彼を裏切ってソ連スパイに転向させようとする神田の芝居が、同じ役者ながら前回の気負ったものから敗戦という「大きな歯車」に逆えない人間の諦観が流れる自然体となっている。
ちょっと残念だったのは、今回公演の収容所士官ナターシャで、九重に対する態度がいかにも硬くて官僚的。前回は病床の九重に注射器を持った毒殺者が近づく前になんとか転向させようと必死で書類に署名を求める姿に「逆ストックホルム現象」を感じ。
「さすがは日本の貴公子、やつれ果ててもソ連女性を魅了するだけの力はある」と変なところで日本女性として誇らしく思ったものだが。ナターシャと近衛を演じる役者が変わったせいなのかしらん。
口述の遺言
このミュージカルでもっともミュージカルらしくなくてしかも泣かせるのが、帰国を諦めた兵士の一人平井が帰国予定者に自分の遺言を語り、暗誦してもらう場面だ。「お母さまへ 晩年のお母さんに親孝行したいと思っていた私の希望が空しくなったことを残念無念に思っています。先立っていく私の不孝をどうかお母さん、許してください。どれだけお母さんに遭いたかったことか。さようなら」国民唱歌「故郷」にのって区切りごとに全員がフレーズを繰り返す。
「妻へ」「子どもらへ」の遺言はそれぞれ「朧月夜」「赤とんぼ」をバックに口述され、全員に暗唱される。実在した兵士の遺言をご遺族の許可を得て翻案したこの場面に、客席からはハンカチが取り出され、涙と泣き声を抑える姿が目立った。
パーティーにて
公演後のパーティーには町村信孝外相も出席。乾杯の音頭をとって「今年来日予定のプーチンさんにシベリア抑留の話をする。ハンカチはグチャグチャになるまではいかなかったが・・・官僚出身の政治家としてなかなか言いたいことがいえないが(大臣を)やめたらいう」とコメント。リーダーの「官僚主義」と「事なかれ主義」を悲しむ公演のあとでの感想である。「大臣であるうちに言ってくださいよ」と筆者はつい突っ込みを入れてしまった。
日本を戦争に導いたのも、戦局を読めずいつまでも敗戦を決断できなかったのも、責任ある立場の人間が決断をのばしたからなのは歴史上明らかな事実である。「武田信玄や織田信長なら開戦したかどうか?」浅利氏の設問を観客はどう受け止めるのか?
日中戦争から敗戦までの8年間で日本人の戦没者は310万人。うち200万人近い人々が最後の1年間で命を落としたといわれる。シベリア抑留者の多くがいまだに「署名」を恥じて無言でいる。戦後60年、戦争を知らない若い友人と共に今一度このミュージカルをみて昭和史を振り返ってほしい。 なお、この作品にも英語の同時通訳がある。
(東京 四季「秋劇場」 10月16日より12月4日まで)
2005.11.5 掲載
|