観客の熱烈なスタンディングオベーションの中、第一作ミュージカル「李香蘭」は10月2日東京公演の幕を閉じた。地方公演は11月16日京都から始まり、来年3月28日からは名古屋公演へと続く。第二作「異国の丘」は10月16日から、第三作「南十字星」は12月18日いずれも東京公演から開幕する。
敗戦60年の節目に三部作のトップとして上演されたミュージカル「李香蘭」は日本人でありながら中国人女優「李香蘭」として数奇な運命をたどった、伝説の女性山口淑子の生き方を通じて1930年から1945年の日本の満州国建設から関東軍の暴走、太平洋戦争突入、サイパン玉砕、敗戦までを描いた歴史ドラマである。
骨太な歴史物を楽しめるミュージカルに変えたのは李香蘭が現実に歌って中国や日本で大ヒットした「何日君再来」、「蘇州夜曲」、「夜来香」など魅惑の名曲の数々で、昭和二桁以上の世代には懐かしいメドレーが続く。今回からの公演には上海でオーディションにより選ばれた遊撃隊役の男性中国人ダンサーの飛翔の魅力も加わっている。
あらすじと時代背景
「殺せ殺せ李香蘭を殺せ。憎い日本に祖国を売った」1946年上海軍事裁判所。「漢奸(中国を裏切った犯罪者)として舞台に引きずり出された女性は満州映画協会の歌う中国女優として数々の国策映画に主演した李香蘭。初めて「私は日本人。名前は山口淑子です」と告白する。
ここで時代は遡り、1920年撫順に生まれ父の親友の李際春将軍の養女となり、「李香蘭」の名前をもらい楽しく過ごした少女時代。1932年満州族、漢民族、朝鮮人、蒙古人、日本人の「五族協和」を理想に掲げる中国東北部での満州国建設。関東軍の暴走で蘆溝橋事件。そして1933年日本は国連を脱退し、1937年日中戦争が始まるまでをスピーディーに描く。
中国と満州全土に広がりゆく攻日排日運動の激化の中で日本の国策宣伝のため設立された「満州映画協会」のスターとなった李香蘭は、心ならずも歌う中国女性スーパースターとして人気を一心に集める。日満親善歌の使節として日劇で公演したワンウーマン・ショウは観客が日劇を七回り半も取り巻く社会的事件となった。
第二幕冒頭中国服姿でヒットメドレーを披露する日劇「歌う李香蘭」公演の再演は、このミュージカルの「見せ場聞かせ場」である。この年1941年日本は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争へと突入する。
太平洋に転戦した日本軍は、新聞やニュース映画が勇ましい大本営発表を伝える裏で、いたずらに兵士の屍を重ねる。疲弊した銃後の日本農村では娘たちが売られ、中国では遊撃隊を組織した学生たちが日本軍の施設を次々と攻撃する。李香蘭の姉妹分、李愛連も恋人とこれに加わる。
「海ゆかば水ずく屍、山ゆかば草生す屍。大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ」。軍歌の荘厳な大合唱をバックに舞台正面に流されるのは当時のニュース映画。累々と重なる屍、サイパン島バンザイ・クリッフから飛び降り自殺を図る母子の姿。リーダーシップなき日本政府と日本軍、さらに無批判にその提灯持ちをするメディアを昭和史の語り部四季代表浅利慶太氏は冷静に描写している。
「日本人に漢奸罪は適応しない」。無罪となった李香蘭は若さと無知からの罪を詫び、傍聴人たちも裁判長の「徳を持って恨みに報いよう」の歌に唱和し、大合唱の中、
香蘭と愛連の姉妹は固く抱擁する。
歴史教科書よりも
この夏、杉並区では公立校で採用する歴史教科書をめぐって区役所が取り巻かれるデモがあった。ところが、筆者の周りでも「現代史は明治政府まで。それ以後は先生が教えない」のでどの教科書でも関係ない、と答える学生が多い。
一方、戦後史は数百冊も発行されているが、退屈なのかあまり読まれていない。
ミュージカル「李香蘭」はご本人の山口淑子さん(大鷹淑子前参議院議員でもある)が「観劇七回目まで怖くて椅子に落ち着けなかった」とおっしゃるほど迫力満点だ。しかも中国人ジャーナリストにも欧米人ジャーナリストにも「歴史的事実を公正に扱っている」と好評だ。さらに、李香蘭の名曲は中国好きの若い人たちの間でも改めて人気を集めている。
1991年1月の初演以来、中国、シンガポール巡業を含めると今回で、公演回数730回。観客動員数も約70万人に達した。「提灯を持つ」つもりはないが、国際社会を生きる日本人の基礎知識として、日本の先生方と子供たちに是非観劇してもらいたい作品である。
2005.10.15 掲載
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