2010年夏 スペイン大西洋岸の旅 -その1- サンチャゴ
日本で22日の朝、4時過ぎに起き、9:35成田発のLH(ルフトハンザ航空)で、フランクフルト経由でバルセロナについたのが、こちらの時間で18:05、日本では日付が変わって翌朝の1:05です。ここから鉄道は満席で夜行バスの旅でした。
22:50バルセロナ発、13:45にサンチャゴ・デ・コンポステーラ到着予定のバスはア・コルーニャへの乗客がいなかったこともあって半時間ほど早くサンチャゴに着きました。
さあそれからが宿探しです。明日がクライマックスの7月24日なので宿が中々見つかりません。やっと見つかったのが、30ユーロで部屋に水の蛇口もない最低の宿でした。もう花火を見たら退散しようと覚悟を決めました。
前日の24日に大入道の行列が街を練り歩き、深夜の花火でクライマックスに達します。
翌25日はカテドラルの中で鐘を大きく振る行事がありますが、これをスキップしてフィステレに向うことに決めました。
総括すると、今回のサンチャゴは失敗でした。大入道の行列は見たものの、カテドラーレの正面のオブラドイロ広場に入れずに通路から花火を覗くような形になってしまいました。
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オブラドイロ広場と旧王立病院 (パラドールとして使われている)右手がカテドラーレ
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花火も横から見るだけでは
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ただ収穫もありました。ドイツ語で話している集団がいて、声をかけると、南チロルのブルネックから北に入った谷からきた地区司祭に連れられた団体でした。こんな人たちでも広場に入れないのですから私も諦めるべきでしょう。ただ前々回とその前は広場で花火を見たのです。
この谷のラインという村には私は三度訪ねたことがあるので、その話をすると、ラインから来ている女性がいることが分かりました。この村はアルプスを隈なく歩かれた今は亡き佐貫亦男先生が本の中に「天国に一番近い村」と紹介されたところです。
先生とご親交のあった西尾大先輩にこの話をすると、早速来年の六月にラインに行くことが決まりました。これも佐貫先生のお導きでしょうか。この「旅さまざま」のバックナンバーでも、
と三度のライン訪問について書いています。ご笑覧ください。
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祭の行列を眺める若者たち |
さてサンチャゴの説明をしていませんが、ここはローマン・カトリック教の三大巡礼地の一つです。エルサレムとローマは皆さんご存知のはずで、何故サンチャゴが重要な巡礼地なのかを説明する必要がありそうです。
732年10月10日のトゥール・ポアティエの戦いでイスラム教徒のウマイア朝の北上を食い止めたフランク王国の宮宰カール・マルテルの勝利の後、イスラム勢力はイベリア半島に留まります。その北部にアストゥリアス王国がカトリック勢力によって建設され794年オヴィエドが首都と定められます。アストゥリアス王国は西ゴート王国の貴族を称するぺヨラによって718年に建国され、この年から1492年のグラナダ陥落までをレ・コンキスタの期間と数えるようです。その運動の中心地として、サンチャゴは重要な役割を果たします。またヤコブは844年のクラビーホの戦いに馬に乗って現れ、イスラム軍を蹴散らしたと伝えられています。
2010.9.30 掲載
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