第1回 南北チロルの旅
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今回の旅のスケジュールを簡単に記します。
各地の詳しい様子と写真は こちらをご覧下さい。
5月23日(金) |
成田⇒ウイーン⇒インスブルック ⇒シュタイナッハ・イン・チロル |
26日(月) |
⇒ブルネック⇒ザンド⇒ライン |
30日(金) |
⇒ザンド |
6月02日(月) |
⇒ブルネック⇒シュテアツィング |
04日(水) |
⇒インスブルック⇒イエンバッハ ⇒ツェル・アム・チラー |
11日(水) |
⇒インスブルック⇒ノイシュティフト |
17日(火) |
⇒インスブルック⇒ウイーン⇒成田 |
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まず「ロゼッタストーン14号」のテーマだった「イラク紛争」についての取材のこぼれ話からはじめたいと思います。
今回の旅は5月23日に成田を出てウイーン経由インスブルックに入り、6月17日にまたインスブルックから帰国するまで、南北チロルをあちこちと回りました。
詳しい旅程についてはこの地図という箇所をクリックしてください。
最初の目的地は南チロルのラインでした。ここはアルプスについて何冊も著書のある佐貫亦男先生のお弟子さんから「一度は行ってみろ」と薦められたところです。
どんなに素晴らしいかは写真でご覧ください。
インスブルックに一泊すれば、ラインまで五、六時間で行けます。私はインスブルックの宿泊費がシングル、 シャワー、トイレ付きで最低でも40ユーロと高いので、
19:30発のボーツエン行きに飛び乗って20:00少し前にシュタイナッハで下りて宿を探しました。
宿の探し方!
もう観光案内所は閉まっています。ではどうするか。駅前にかなり立派なホテルがありました。まず値段を聞いてから、 近くにもっと安いペンションか個人経営の宿はないかと尋ねます。こうゆう風に二、三軒回ると必ず宿は見つかります。
この時の私の失敗はインスブルックの宿代の40ユーロが頭にあるので、25ユーロで妥協したことでした。後で考えると20ユーロでも相手はOKしたでしょう。 1ユーロが140円としても2800円という安さです。勿論シャワー、トイレ、朝食に、バルコン、テレビまでついてシングルの値段です。
宿のおかみさんと親しくなって聞いてみると、「この町はブレナー峠を往き来する街道筋にあるので、週末は客が多いがウイークデイは暇です」とのことでした。 私の泊まったのは金曜日から三泊で微妙な時期でした。
このようにアルプス地方で宿を探すのは楽しみの一つです。
シュタイナッハから普通列車でブレナー峠に出、ここからフランツエンスフェステまでの特急で一駅の間ミュンヘンで働いているクロアチアのご婦人とイラク紛争について話しました。
彼女にとっての戦争はやはりこの間のクロアチア独立戦争でした。セルビアのミロセヴィッチ元大統領から一方的に仕掛けられた戦争との思い入れを感じました。
フランツエンスフェステから鉄道の支線を乗り継いで、プスター・タールを東へブルネックまで。ここからバスでタウファー川に沿って北へザンドまで。 さらにバスを乗り継いで東北へやっとラインに着きます。
偶然にも佐貫先生の常宿にされたエパッハーの車が停留所に泊まっていて、そのままエパッハーに泊まることになりました。宿賃はシャワー、トイレ、バルコン、テレビ、朝食付きで20ユーロでした。本当に素晴らしい部屋で、バルコンからはホッホガルの峯が見えます。
少しオーバーな表現ですが、ベットの具合は昔泊まったウイーンのホテル・インペリヤルやブリストルにも匹敵しそうです。まさにルンルン気分でした。
ただ困ったのは私のここに着いた5月26日はまだシーズン前で、すぐ近くのお兄さんが経営するホテル・ホッホガルは改装中でクローズ。食事ができるのは村で二軒だけで、十五分から二十分も坂道を登らねばなりません。写真の教会のさらに上にあるのです。
南チロル地方のシーズンのはじまりは遅く、今年は6月21日からバスが夏スケジュールに切り替わります。
ラインの村から上流はタウファーの流れが二つに別れ、時計回りにクヌッテンとバッハの二つの谷になっています。
欧州とアメリカの価値観の違い
私がイラク紛争についてお話を伺ったのは、バッハ・タールを少し上ったヤウゼンスタチオン・アンゲラーでした。ヤウゼンとはドイツ語で「おやつ」のことで、「おやつを食べるところ」から一休みして昼食も取れるようになっています。
ここのご主人は最近までザンドの町で学校の先生をしていたそうで、この地方のインテリといえるでしょう。
「今回のアメリカのイラクに対する攻撃は大義に欠ける。フセインが独裁者だからという理由で攻撃するのなら、アフリカでは二つに一つの国は独裁国家だから、アメリカはそれらの国々も全部攻撃するつもりか、と聞きたい。」
またアメリカがイラクを攻撃した後のイラクの状況は、薬は不足しフセイン時代よりもはるかに悪くなっている。
アメリカの価値観を他の国に押しつけることには問題がある」
私の質問にざっと以上のような答えが返ってきました。
同席していたドイツのザールブリュッケンから毎年これで三十年もこの地にきているという老夫妻も全く同意見でした。
印象に残ったのは、私の「アメリカのイラク占領によって、石油の値段の決定がOPECからアメリカに主導権が移り、安定するのではないか」との質問に対する回答でした。
「油の値段が下がるとまたアメリカ流の大量消費が幅を利かすこととなる。これは地球環境破壊につながる大きな問題だ。アメリカはまだ京都議定書にもサインしていない」
欧州とアメリカの落差が身に沁みた発言でした。
もう一つのクヌッテンの谷を溯ると一時間半ほどでヤオゼンスタチオン・クヌッテンアルムに着きます。ここからさらに一時間強でクランムル・ヨッホというオーストリアの東チロルとの国境です。
イタリア側は湖が美しく、オーストリア側はまだ道に雪が積もっていました。道が通るのは七月も終りと聞きました。 このルートが佐貫先生愛用の東チロルの谷に入る道筋です。
次回はブレナー峠の麓の町、シュテアツイングで会った、ドイツのウルム市にある銀行の支店長さんとの話からはじめましょう。
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