チロル周遊(2007) その1
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ヴァルトナー・アルムから見た風景。
左の山がドライヘレン・シュピッツェ
右の山がレート・シュピッツエ
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分かり易く「チロル」といいましたが、正確には国立公園ホーエ・タウエルンの西側を一周しました。
インスブルックからブレナー峠を越えて、南チロルのフランツエンフェステで乗り換えて、プスター・タールを東にブルネックまで。ここでバスに乗り換えて北上し、ザントから西側の谷の行き詰まりのカゼルンに着きます。
これが飛行機を利用すると、ウイーンからのゆっくりとした一日の行程になります。
私がカゼルンに着いたのは8月1日、丁度8月一杯といわれるイタリアの休日と重なってしまいました。
終点でバスを降りると、親切な小母さんが「昔はこんなところをイタリア人は知らなかったのに、最近ではイタリア人の旅行者が増えてきて」と言いながら私を昔からある二軒のうちの一軒である「シュテルン」に案内してくれました。
ここでは小母さんは流暢なイタリア語で話していました。宿の主人は私にはドイツ語で、「今日は満員なので、あそこで聞いてくれ」とハウス・シュテーガーを教えてくれました。
その家ではお客が留守番を頼まれていて、少し待たされましたが、トイレ、シャワー無しで23ユーロという部屋が見つかりました。これが私にとっては今回の旅行中で最も割高な宿になりました。列車が遅れて、観光案内所も閉まっていたので他によい考えも浮かびませんでした。
翌日は観光案内所で探してもらって、一つ手前のプレッタウにトイレ、シャワー付きで25ユーロという宿を見つけて三日目から移りました。チロル地方では朝食込みの値段です。
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ビアンリュッケン・ヒュッテから
ドライヘレン・シュピッツェを眺める
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普通イタリアでは朝食は別料金なので、イタリア人にはこの値段は物凄く安いと写り、最近イタリア人が増えたのではないでしょうか。
この後訪れたラインのガルニ・エパッハーの息子に言わせると、「8月一杯はイタリアの夏休みなので、6月がよい」これに対しては「一度6月末に来たときは、クヌッテン・ヨッホの先のオーストリア側は雪が積もっていたぞ」とからかいました。チロルでは、一般論として7月中旬からやっとシーズンになるのが悩みの種です。本当に短い夏ともいえます。
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レートアルムからの
レート・シュッピッツェの眺め
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カゼルンは西側にチラー・ターラー・アルペンの山並みが続くアーン・タールの一番奥にある村で、ドライへレン・シュピッツエやレート・シュピッツエの麓に位置しています。
8月4日には、ケーラー・アルム、ラーナー・アルムを通って、ビアンリュッケン・ヒュッテからドライへレン・シュピッツエを眺めました。氷河の影響もあって雲の全く無い日は珍しいと教えられました。カゼルンの村から3時間の行程ですが、一応2時間40分で小屋まで着くことができました。
これが私のドライへレン・シュピッツエの見はじめでした。
翌5日のレンクイェッフェル・ヒュッテ行きは、カゼルンからなら当然のコースのヴィント・タールからでなく、プレッタウの村外れの銅鉱山の跡をたどりながらレート・アルムに出て、ここからレンクイェッフェル・ヒュッテに上りました。
私は正式に登山を習ったことはなく、力任せに登るせいか、登りは人より早いのですが、下りが苦手です。ハルツのブロッケン山を下ると必ず足が腫れてきます。これは靴のせいとは思っていますが。
レート・アルムからのレート・シュピッツエの眺めは確かに最高でした。写真で紹介します。
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シュテーガー・アルム
後ろにシュヴァルツェンシュタインが見える
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6日は谷の西側のヴァルトナー・アルムからヴァルトナー・ゼーに登って、少し遠くに見えますが、ドライへレン・シュピッツエとレート・シュピッツエを眺めました。毎日5,6時間も歩くのですが、出発前に日本で痛んだ膝もいつの間にか治っていました。
7日は谷の東側に上って西側に続くチラー・ターラー・アルペンの山々を眺めることにしました。シュテーガー・アルムからアルブレヒト・アルムまで。谷の向こう側にはシュヴァルツエンシュタインが見えました。この山はチラータール側のギンツリンクから眺めたことがあります。
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ライン村の宿の近くから見たホッホガル
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ライン村からのぼった
ウァシュブリング・アルムの小屋
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8月8日には、プレッタウに別れを告げて、ザントからタウファー・タールのラインに移りました。ここのガルニ・エパッハーは佐貫先生の定宿で、私も先生の愛読者の一人として、もう三度目の訪問です。
家を出ると、ホッホガルが聳え立っています。
この宿の息子さんの意見では、ホッホガルの向かって左側の氷河がここ3,4年ではっきりと削られたとのことでした。勿論温暖化の影響です。
ダブルの部屋だったので仕方がないのですが、一泊25ユーロを取られました。やはりハイシーズンは避けるべきでした。とはいっても素晴らしい部屋でした。
ラインについては今までに何度も紹介しているので、今回は写真だけに留めます。
2007.10.19 掲載
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