南北チロルの旅・続(その二) ライン
06年8月30日より9月5日まで
ラインについては、前回の「南北チロルの旅」で紹介しました。
アルプスについての著書が多い佐貫亦男先生のお弟子さんから教わった場所だ、ということも前回書きました。
ただ若干の訂正が必要かもしれません。ラインからクヌッテンの谷を遡って、クラムル・ヨッホの国境の向こうは、ホーエン・タウエルンでした。ここで僕には分からなくなってしまいました。私の頭の中では、タウエルンはザルツブルク州です。しかし、国境の下に見える右側の谷は、東チロルから入ってくるSchwarzachの谷でした。それで佐貫先生は東チロルとお書きになりました。僕も前のレポートでは、東チロルに入ると書きました。
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クランムル・ヨッホからオーストリア側の
ホーエン・タウエルン地方の山並みを眺める |
ここのところをもう少し詳しく説明すると、東チロルの中心都市のリエンツから、Iselの谷をほぼ北に遡ると、フーベン。ここから西に入る谷がデフェレッゲン・タール、その上流がシュヴァルツァッハ・タールです。フーベンの北の町がマトレイ(東チロル)でここから西へフィルゲン・タールがあります。この辺り一帯が佐貫先生のかってのホームグラウンドでした。そしてその山の反対側を見ようということで、南チロルに足を伸ばされました。
僕にはザルツブルク州と東チロルの境がはっきりしないのです。
前回の訪問は6月下旬で、峠(クランムル・ヨッホ)の先は雪が積もっていました。今回は9月初めで、晴天に恵まれてどこにも雪はありません。ブルネックから入ると、西はカゼルンのようにチラーターラーアルペンに接し、次ぎのタウファーの谷では、クヌッテン・タールはホーエン・タウエルンとその東のバッハーの谷は山を越えると東チロルに入るというように奥が扇形に広がっています。
ここで佐貫先生の書き残された本の中から、僕の共感した個所を抜き出してみようと思います。
「・・・ほんとうに東アルプスの山は美しいか、と聞かれたら、待ってました、と答える前に私はかならず念を押す。東アルプスの美は西アルプスの美を経験しないとわかりませんよと。さらにつけ加えて、東アルプスを先に見ると、寂しくてたまりません、と注意する。この理由は、東アルプスの山々になじみが薄く、名前すら知らないからにちがいない。高度の低いことも、評価を下げよう。ところが、前に述べた理由で、東アルプスを改めて見なおすとき、驚くべき新鮮さを発見する。それは西アルプスの高さと共存する通俗さを持たないからである。ここで通俗さとは、見る者自身も見飽きたことを意味する。」
この文章の中の「前に述べた理由」というのは、マッターホルン、ユングフラウ、モンブランといった西アルプスの高峰は、有名な女優さんと同じで、その写真をどこかで見ていて、はじめて見ても新鮮さに欠ける、という意味です。
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クヌッテン・タールからホッホガルを望む |
「山の格づけが定まったら、あとは山と人との触れ合いが問題となる。その点では、東アルプスが絶対に有利である。山が高すぎて人を近づけない西アルプスとちがって、東アルプスでは、山と人が隣りづき合いをしている。
つまり3000㍍ぐらいの山の下で牧童がウシを追い、そこに近い峠を越えて春秋にウシの群を移動させる。この生活と結びついた山のただずまいが旅行者にも親近感を与える。
私は東アルプスをこんなふうに見て歩く。・・・・」
僕も先生の域に少しでも近づこう、とせっせと東アルプスを歩いています。僕も若い頃はせっせとスイスのユングフラウ、マッターホルン、モンブランに通いました。ただスキーだけは、サンモリッツ、エンガディン、南北チロルと東アルプスが多かったと思います。勿論マッターホルンでも、ゴルナグラートとシュヴァルツゼーで滑りました。
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オーストリア側から見たクランムル・ヨッホ |
ここで東西アルプスの境界はどの辺りか、を佐貫先生の本から引用しておきます。
フランスからスイスの中央までの4000㍍級の山が並んでいるのが西アルプスです。
一方、東アルプスはスイスのエンガディン地方からオーストリアにかけての地方をさしています。イタリアはこの全域にわたって南側を占めています。
2006.12.18 掲載
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