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第82回 「教育現場での尊厳」について


皆さんこんにちは。今回も連載をご覧下さりありがとうございます。
  4月、2013年度、平成25年度のスタートです。新入学を迎える皆さん、おめでとうございます。皆さんとの出会いを、先生方はじめ学校関係者の皆さんは、心から楽しみにしていらっしゃいます。先生方や先輩たちを信頼し、さまざまなことを学んで、楽しく、充実した学校生活を過ごして下さい。
  そして、連載第63回「新入生と保護者が気をつけたいこと」について、もご覧いただきますよう、お願いします。

この連載も2005年4月に始まり、8周年を迎え、9年目に入りました。皆さんの応援とご愛読にお礼申し上げます。これからも自分なりの視点で教育問題を取り上げていきますので、よろしくお願い致します。

3/29、国会で「子どもの貧困対策法」の制定を求める集会が開かれました。日本は、ユニセフやOECDから「子どもの貧困率が約14%」と指摘されており、先進国ではアメリカに次ぎ2位、また、OECD平均の12%を上回っています。一人親世帯の子どもの貧困率は約50%にものぼります。

与野党ともに貧困対策の必要性は認識しているのですが、民主党は2009年に「2021年までに10%未満に、また、一人親世帯の貧困率は35%未満にする」と目標を掲げているのに対し、自民党は「数字自体に意味がない」ということで、目標の盛り込みに消極的だとのことです(「東京新聞」2013/03/30付記事)。
  子どもの貧困は親から子へ連鎖すると言われています。この動きが今後どうなるのか、行方を見守りたいです。

そして、この4月から、高校での新しい学習指導要領の実施が始まります。大きなポイントは、

  • 理数系科目の充実
  • 言語教育の充実(特に、英語の授業は基本的に英語で行なう)

この2点です。どちらも私の専門科目ではないので、詳しい分析は控えます。

ただ、これだけはお伝えしたいのは、他教科も併せ、全般的に、教科書はページ数が増えているものが多いので、授業で扱う内容が増えれば、毎日の予習復習など、小さな積み重ねが今まで以上に重要になる、ということです。普段何もせず、テスト前に一気に片付けるようでは、とても全教科の学習が消化しきれないはずです。

高校生のお子さんをお持ちの保護者の皆さんは、お子さんの様子をよくご覧になり、時には話し合い、また、励ましや叱りなどしながら、家庭での学習時間が毎日少しでも、設けられるようにしていただきたいです。

* * * * *

今回のテーマは、「教育現場での尊厳」についてです。
  このようなテーマを書こうと思ったのは、教育現場で、「生徒に対する尊厳」と「教員に対する尊厳」の双方が壊れてしまっていると感じることが後を絶たないからです。

昨年から今年にかけ、大阪市立桜宮高校での体罰による生徒の自殺をきっかけに、教員による体罰がクローズアップされました。多くの体罰に関する事件が報道され、また、学校では、文科省の指示で、教員と生徒たちに体罰の有無のアンケートの実施などがあったと思います。
  また、連載第79回「教員の犯罪」について、で取り上げたような、教員の犯罪も相変わらず多く見聞きします。

もちろん、教員の犯罪行為は言語道断ですし、力で児童・生徒を押さえつける体罰は断じて許されるものではありません。教員は、「生徒に対する尊厳」を忘れず、「一個の独立した人格者」として見て、自分の思い通りにさせるのではなく、生徒が自立した大人になるために必要なことを工夫して伝え、生徒の心身の向上のサポートをする、という気持ちで指導にあたるべきです。

桜宮高校で自殺した生徒さんは、本当にお気の毒でした。生徒さん、そして、ご遺族に、心からお悔やみを申し上げます。
  そして、同じような悲劇を防ぐためにも、スポーツでお子さんの進学をお考えの方は、連載第39回「スポーツを習わせる時の注意」について、をぜひご覧いただき、リスクを充分理解なさって下さい。

このようないたましい事件もありますし、また、(信じがたいのですが)私生活優先や、部活動に力を注ぐあまり、「生徒に自習ばかりさせる教員」といった教員の話も見聞きしますが、基本的に、今の教員たちは懸命に仕事をしていると感じます。

現場で感じるのが、団塊世代の大量退職で、経験年数の浅い若手教員にかかる負荷が大きいということです。もちろん上の世代が細かく見てサポートしていますが、学校そのものに対する社会の要求や視線が厳しいので、精神的負荷は大変だと思います。

また、公立校勤務だと、教育委員会に提出する書類作成で児童・生徒と向き合う時間が少なくなっているようです(何度かこの連載で書いていますが、私立校は教育委員会と無関係です)。
  たとえば、東京都の教育委員に任命された、乙武洋匡さん(@h_ototake)の3/10のtwitterでの発言で、次のようなものがあります。乙武さんは3年間、都内の小学校で教員として勤務された経験があります。

「あるベテランの先生の言葉。『昔の教師は、子どもたちと向き合うのが仕事だった。それがいまの教師は、書類と向き合うのが仕事になっている』現場の教師たちは、多くの荷物を背負わされすぎているのだ。」

小学校教員は、基本的にすべての授業をひとりで担当します。時間割の中で授業をしない時間がある中学・高校の教員は、その時間を利用して準備などもできますが、小学校の教員は基本的に放課後に準備をしていると思います。そこに書類作成が入り込めば、放課後や休み時間に児童の相手もできません。退勤すべき遅い時刻や、休日に準備などされているのではないかと、気がかりです。

そして、今の教員はここに「保護者への対応」が加わります。学校をサービス業のように捉えているからでしょうか、ごく一部ですが、学校に対し「子どもを指導してもらう」のではなく、「自分の要求を受け入れてもらって当然」という態度の保護者がいるのが実態です。

非常識な要求のために保護者にお願いの書類を出したり、保護者会を開かねばならなくなったりするケースも出ています。また、指導に従わなかった(つまり、悪いことをした)我が子に対する処分が厳しい、かわいそう、と要求があると、管理職は訴訟などを恐れて穏便に済ませようとするので、結局板ばさみになるのは現場の教員です。

たとえば、このような話を聞きました。
  「塾の模試で出題された問題が、以前出たものと同じで、その問題を知っていた生徒と知らなかった生徒が出てしまい、同じ学校の生徒で成績に差があった。問題を知らなかった我が子は不利だった、模試代を学校が払って欲しい。」
  この模試は学校外で実施されており、学校の成績や進級などには一切関係ありません。それにもかかわらず、模試代を学校に負担して、という要求は理解しがたいです。

この話を聞いた時、次のことを思い浮かべました。
  難関大学を受験する高校生の多くは、2年生の冬に、予備校が実施する、その年のセンター試験と同一内容の模試を受けます。センター試験は試験直後から解答・解説などが発表されるので、保護者の知らぬ間に、解答を丸暗記して受ける生徒がいても不思議はありません。

でも、丸暗記したからといって、翌年その生徒が難関大学に合格する保証など、どこにもないのは明白です。「昨年の模試で成績が良かったのに、我が子が志望校に合格できなかった、予備校に受験料を払って欲しい」と要求するのと似たような、つじつまの合わない話ではないでしょうか。

ただ、大多数の保護者や生徒は、その非常識さをあきれて見ており、分別ある生徒が、教員に対し、「常識のない人たちが、どんどんエスカレートして、自分勝手におかしいことをしていると思います」という趣旨の発言をすることもあります。

一連の体罰事件の報道の中で、このようなものがありました。今年2月、神奈川県小田原市の公立中学で、自分に向かって「バカ」「死ね」「ハゲ」などと発言した生徒が名乗り出なかったため、男子生徒16人に平手打ちした教員がいた、というものです。

この話を最初聞いた時、「確かに教員が叩いたのは悪いけれども、原因を作ったのは生徒」だと気づきました。私の周囲の現場の教員たちはおおむね同じような反応でした。そして、この教員の処分がどうなるのか気になりました。もし一方的に教員が処分されれば、生徒たちは「教員を侮辱することを言っても、何のお咎めもない」というお墨付きを与えられてしまうことになるからです。

その後、学校も生徒たちに「自分たちも悪かった」と気づかせる指導をし、また、市や学校に教員への処分を寛大にしてほしい、というメールや投書もあったそうで、結局、この教員は「戒告処分」となりました。地方公務員法に基づく懲戒では、最も軽い処分で、私も安心しました。

この事件の生徒たちが、教員を侮辱することを言ったように、教員に対して「大事なことを教えてもらう」敬意、尊厳が抜けていると感じる場面が私にもあります。極端な場合、「先生が死んだらいいのに」などと言っている場合もあるようです。

もちろん、このようなことは断じて許されることではありません。中学生は反抗期で、また、勉強したくないという気持ちが、短絡的に「目の前の教員がいなくなる=勉強しなくて済む」という考えになってしまう、他に、ゲームの浸透で「死」を実感なく軽く捉えてしまう、などの理由があるように考えています。

学校だけでなく、社会に出た場合でも、敬意、尊厳を持って他人に接することは、対人関係の基本ではないでしょうか。明らかに物事を履き違えた言動をした場合は、もちろん体罰で指導してはなりませんが、厳しく注意し、自分が間違っていると理解させる必要があります。

この「物事を履き違えている」かどうかが、思春期の子どもの、その後の人格形成に大きく関わると私は考えます。私自身も思春期に経験がありますが、どうしても都合よく物事は解釈したいものです。ただ、それが常識から外れている場合、この段階で厳しく指導されなければ、自分勝手な解釈でなにごとも許されると勘違いしてしまうかもしれません。

私の場合、中学・高校とも、「自主・自立」をうたう学校に在籍していました。「自由というのは責任ある行動を伴っていなければならない」と、中学時代、履き違えそうになる私たちに、先生方は毅然と指導して下さいました。それを正しく理解できたのちの、高校時代は大変楽しかったのを覚えています。

保護者の皆さんも、問題のある教員もいるとは思いますが、万が一、お子さんが物事を履き違えている場合もあるかもしれません。お子さんの話を聞いた上で、一方的に要求を突きつけるのではなく、お願いの形で伝え、また、他の保護者とも協力していただきたいです。要求を突きつけると、学校も警戒してしまい、穏やかに話し合いが進まなくなってしまいます。

なお、第22回「学校側への話の仕方」について、と、第69回「義務教育終了までに身につけてほしいこと」について、も併せてご覧になり、参考にしていただけたらありがたいです。

新年度の始まり、新しい気持ちに切り替わっている方も多いと思います。教育現場に関わるすべての人が、「尊厳」について考え、実り多い時間を過ごして欲しい、と願っています。



【今回のまとめ】
  1. 学校、教員に対する信頼を揺るがせる事件が後を絶たない。確かに問題のある教員も実在するが、大多数は懸命に仕事をしている。教員は、「生徒に対する尊厳」を忘れず、「一個の独立した人格者」として見て、自分の思い通りにさせるのではなく、生徒が自立した大人になるために必要なことを工夫して伝え、生徒の心身の向上のサポートをする、という思いで指導することが大事。また、団塊世代の大量退職で、経験年数の浅い若手教員にかかる負荷が大きく、公立校では書類作成で児童・生徒と向き合う時間が少なくなっている
  2. 学校をサービス業のように捉えているからか、ごく一部に、学校に対し「要求を受け入れてもらって当然」という態度の保護者もおり、大多数の保護者や生徒は、その非常識さにあきれている。子どもが「物事を履き違えている」ままで過ごすと、その後の人格形成に大きな支障が出る。保護者と児童・生徒は「教員に対する尊厳」を持ち、何かトラブルがあったら、要求を突きつけるのではなく、まずはお願いし、また、他の保護者とも協力して欲しい

2013.4.15 掲載

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