2010年4月、シュヴァルツヴァルト(3) ドナウエッシンゲン
4月12日(日)と17日(土)の両日、ドナウエッシンゲンに斉藤茂吉の足跡を尋ねました。名随筆『ドナウ源流行』を片手にの旅です。
岩波文庫の『斉藤茂吉随筆集』の中の「採卵患」という随筆の舞台となったゲゾイセには2009年8月に訪れました。このホームページでも、「09年8月スロヴァキアとオーストリアのゲゾイセの旅(その5)ゲゾイセ」をご笑覧下さい。またドナウエッシンゲンには昨年4月にも訪問しており、「09年4月南ドイツ・シュヴァルツヴァルトへの旅(その3)ドナウエッシンゲン」も併せご覧下さい。
『汽車は、十時三十分に遂にDonaueschingen駅に着いた。僕は月光を浴びて汽車から降りた。・・・・・手提かばんを持って、僕はSchuetzenという旅館を尋ねて行った。』
このSchuetzenは今はイタリアン・レストランになっています。私がここを訪ねたのが土曜と日曜だったために、昼はクローズしていてランチを食べられませんでした。主人はできればホテルも開きたいとは言っていましたが。
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レストラン“Schuetzen”(シュッツエン) |
茂吉がこの地を訪れたのは1924年4月18日、丁度Karfreitag(復活祭前の聖金曜日)に当っていました。今年は復活祭が早くて4月4日と5日が復活祭の日曜日と月曜日に当たり、聖金曜日は4月2日でした。私は気候については旧暦(太陰暦)の方がよく当ると思っていて、ドイツでは「暑さ寒さも復活祭まで」と信じています。ライン平野に臨むオッフェンブルクの街では、もう一面の花盛りでした。ところがDonaueschingenでは、標高が677mということもあって、まだ木々は丸坊主でした。友人の奥さんの話では、黒い森の東側は高度が保たれていて、ドナウ河はUlmまで下っても標高478mの高さを保っています。従って春の訪れはそれだけずれることになります。
話を戻して、Schutzenは市の中心部の手前にあり、その前をブリガッハ川が流れています。川の手前を右(東)へ曲るとFuerstenberg候の公園が広がっています。
『一夜明けて、写真機を持って出掛けた。・・・・公園は大名(公)時代の庭園の名残で、そこに侍医の碑などもあった。・・・・』
この碑の写真を撮っておきました。茂吉はご存知の通り精神科医です。またそのための留学でした。
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公園内にあった侍医の像 |
『しばらくすると森林が尽きて眼界が展けて来た。・・・・暫く行くと、向うから(右手の方向から)ブレーゲが来て、ブリガッハに合した。ブレーゲは平野の彼方からながれて来るので、それが幾うねりにもうねって、平野のすえに見えなくなっている。そのブリーゲも、僕が汀に立っているブリガッハも、無障がいの日光を受けて照りかがやいている。まぶしく白い光の反射している水面は、何だか膨れたようになって流れている。水面は直ぐ陸から続く気持で、しゃがんでそのまま水を掬ぶことも出来た。ここからいよいよドナウがはじまるのである。』
この後茂吉は精力的にこの街を見て廻ります。
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“ドナウ源泉”にあるバール神の像
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『僕は「ドナウ源泉」(Donauquelle)を見に行った。清冽な泉で、昔は寺の礼讃を終えてこの泉を掬んだということである。また公爵が家来を連れてここで酒宴をしたということである。この泉は、海抜六七八米。海洋に至るまで二八四〇基米と註され、大理石の群像は、バアル神が童子と娘とを連れて、行手の道を示すところを刻したものである。・・・・』
昨年は気づかなかったのですが、この源泉のブリガッハ寄りのところに、茂吉の歌碑がありました。「大き河 ドナウの遠き みなもとを 尋めつつぞ来て 谷のゆふぐれ」
2000年3月21日に上山市日独友好協会によって建てられたものでした。
茂吉といえば大石田に疎開していて、昔そこのお寺に、「最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも」という歌碑があったことを思い出します。
『寺を(教会のこと)見て、それからKarlsbau(絵画陳列館の名)を見に行った。そこには絵がかなりあった。・・・・・・
Bezirksmuseum(地区博物館)というのを見に行った。箪笥とか、古時計・着物・靴・うば車・額面など、そういうものが沢山陳列してある。・・・・・
その処を出て僕はカフェに入った。・・・・・・僕はそれから、Gasthaus zur Sonneという食店(レストラン)に入った。・・・・・』
Bezirksmuseumは新しい建物がブリガッハの右岸、公園の入口に建てられています。私はここをスキップしました。"Zur Sonne"はホテル兼レストランとして街の中心部で、一昨年まで営業していましたが、今はクローズされたままになっていました。
『この上は一体どうなっているだろうか。自分は此処まで来て、ブレーゲがブリガッハに合し、そしてドナウの源流を形づくるところを見て、僕の本望は遂げた。このさき、本流と看做すべきブリガッハに沿うて何処までも行くなら、川はだんだん細って行き、森深く縫って行って、峪川になり、それからは泉となり、苔の水となるだろう。そこまでは僕の目は届かぬ。僕は今夕此処を立たねばならぬ。こんなことを思って古びた食店を出た。
・・・・・僕は虫目金を出して地図で川の源の方へ辿って行った。川は森と森の間の平地を縫うて、Villingenの町に着く、そこまではあのような銀いろをした静寂な川に違いない。そこからは森と森の間が狭くなって、峪をなしている。そこをGropperの峪と名づける。川はそこを流れている。そこからもっと川上へ辿って行くと、川は西の方へ緩く曲って、遂になくなってしまう。そこはブリガッハの森である。そこから水が出でて来るのであった。』
* 峪という字は本当は渓の旁を偏にして、旁を谷にした字です。
二回目の4月17日、ここからの帰り道にVillingenの町に途中下車して、上流に向って歩いてみました。オッフェンブルクへ戻る列車はSt.Georgenまで途中停まりません。この二駅の間ではブリガッハは鉄道に沿って進行方向の左側を流れていますが、ザンクト・ゲオルゲンの2,3キロ手前で左手奥のブリガッハの森の中に消えて行きます。仕方がないので源流探しは、フィリンゲンから少し上流に溯ることでお茶を濁しました。
そこにもKurgarten(湯治場の庭園)があり、燦々と降り注ぐ太陽の光の下でビールを楽しみました。
ビールはFuerstenberg、Donaueschingenの大候の醸造所のものです。やはり私には本場の味でした。
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フィリンゲンのクアガルテンの近くを流れる ブリガッハ。小川になっている。
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フィリンゲンのクアガルテン。右手がレストラン
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2010.6.4 掲載
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