|
翌4月8日はゲンゲンバッハから南西のドナウエッシンゲンを訪ねました。 9:06にゲンゲンバッハを出た列車は、9:20にハウザッハに着き、ここでフロイデンシュタットへ行く道と分かれます。ここから更に南西に道は登りとなり、ホーンベルクのお城を見ながら、トゥリベルクに着きます。こことサン・ゲオルゲンの間が分水嶺になっていて、ここからはブリガッハの流れに沿って列車は南下して、ドナウエッシンゲンの町の西側から停車場に到着します。 ブリガッハの流れは町の南の端を西から東に流れ、フュアステンベルク候の公園の東端でブレークと合流してドナウとなります。
駅から北へブリガッハ川に架かる橋を渡って坂を上ったところにインフォーメイションがありました。ここから町は西に広がっています。直ぐ東に今は修理中の教会があり、その東にフュアステンベルク候のお城、その前から東に公園が広がっています。 私はドナウの源流について書いた日本の作家のエッセイを読んだ記憶があったので、帰ってから友人に尋ねたところ、奥さんが斉藤茂吉の『ドナウ源流行』というエッセイを書架から探してくださいました。昔はドナウエッシンゲンに行ったこともなかったので、ぼんやりと読み過ごしたのですが、今読むと感心します。 まずこれは全くの偶然ですが、茂吉は1924年4月18日の朝ミュンヘンを出て、ウルムのミュンスターの欧州で一番高い塔に上った後、夜の10時半にドナウエッシンゲンに着いています。この日はイースター前のキリスト受難の金曜日(カールフライターク)に当たります。
今年2009年はカールフライタークが4月10日で、私がこの町を訪ねたのが2日前の水曜日、4月8日でした。茂吉の文章の中に「ゆうべ林中を通ったと思うたのは、公園の一部であった。落葉樹はまだ芽吹かないといって好いくらいである。・・・」と書いてありますが、私も同じ風景を見ました。 「・・・ドナウがどの辺を流れているか尋ねると、帳場の若者はこう答えた。流は直ぐ近くにある。これはBrigach川である。この流をしばらく下るとBrege(ブレーゲ)川がこれに合する。ドナウはそこから始まるというのであった。・・・」 ここで問題は今の地図にはBregと記されていることです。これはブレーゲとは読めません。これは私の宿題にしたいと思います。 「Donaueschingenは、フュルステンベルヒ公の治めた処で、その居城もあり、加特利教の寺も、醸造所も、美術館も、庭も古い時代からあったものである。西暦一九〇八年の火事以来、焼けた部分の町は新しく出来たのだそうである。 泉についてはこの文章で語り尽されているので、下の写真だけお見せします。
更に源流を溯って、「・・・川は森と森の間の平地を縫うて、Villingenの町に着く、そこまではあのように銀いろをした静寂な川に違いない。そこからは森と森の間が狭くなって、渓をなしている。そこをGropperの渓と名づける。川はそこを流れている。そこからもっと辿って行くと、川は西の方へ緩く曲って、遂になくなってしまう。そこはブリガッハの森である。そこから水が出でて来るのであった。」 私はこの源流の方からブリガッハに沿ってこの町に入ってきたのです。 2009.5.15 掲載
|
|
上に戻る |