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09年8月 スロヴァキアとオーストリアのゲゾイセの旅(その5)
      -ゲゾイセ-

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Gstattenboden駅近くから
Planspitzeを見上げる

皆さんも「ゲゾイセ」という土地の名は、はじめてお聞きになるのではないでしょうか。
  私も岩波文庫の『斉藤茂吉随筆集』を読む機会がなければ、「この地を訪ねよう」などと決して考えなかったでしょう。

また、この随筆集を読んだのも「ドナウ源流行」という茂吉の随筆の代表作から今年の四月のドナウの源流への旅を追体験したかったからでした。
  そしてこの本のページをめくっているうちに「探卵患」というエッセイに出くわしたのです。

「ふたりはきのうの早朝に維也納を立ってここへ来たのである。Donauの流はところどころで見ることが出来た。・・・・Melkの町の寺院の尖塔を右に見てだいぶ来ると、もう雪を戴いた峻峰が遥か西南の彼方に見え出す。・・・・Amstettenという駅で汽車を乗換えたが、汽車は小さく、車内を暖める蒸気は通っていなかった。午後十二時五分にそこを発してから汽車は南下して山嶽地へ向った。・・・・汽車はEnns川に沿うて走った。水面と平行して走るようなところがあれば、断崖から谷を見おろすようなところもあった。一山に落葉が積もってそれがいかにも雄大に見えるようなところもあった。煉瓦工場があったり、泥炭を掘ったところがあったり、Oberland駅あたりから雪がそろそろ深くなって行き、橇に材木を一ぱい積んだのをひく馬が並んでいるところなどもあった。Enns川の紺碧の流が、雪をこうむった赤裸らしい山の間から見えるようなところを走って、四時近くにGstattenboden駅に着いた。 ・・・この駅は山中の実に寂しい駅であるのに、ふたりは訊き訊き小さな旅舎を音ずれて一夜の宿を乞うた。・・・・」

茂吉の旅はクリスマスから年末の短い間に行われました。
  私は8月12日という夏の盛りでしたが、自然の景色はそう変わるものでもありません。

Enns川とGesaeuseについて斉藤茂吉は次のように書いています。

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エンス(Enns)川の峡谷であるゲゾイセ(Gesaeuse)の風景

「Enns川は、もっともっと西南の山中から出て来て、渓谷をつくりながら東方にながれる。山間の駅Hieflauあたりから方向を北に取り幾つも支流を入れて、西北へ途を取ったかとおもうころ、ついにDonauに灌ぐのである。瑞西から起ったアルプス山系が墺太利の方に延びて来、大きな群山と深い渓谷とを作るその規模はいかにも荘厳であった。その山系があるところからEnnsが出て渓谷に沿うてながれ、川のほとりには村がある。その村でも渓谷の狭くなったAdmontから、Hieflauあたりまでを、Gesaeuseと名づける。そこには大きな山がかたまってあり、渓流と深潭とがこもごもあって、昔から旅人の注意をひいたのであった。」

ゲゾイセについての説明はこの文章で尽くされています。
  私は下流からアプローチしましたが、ヒーフラウとアドモントの中間辺りにグシュタッテンボーデンの駅がありました。

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棟上式。屋上に飾りが見える

駅に着くと出会いがしらに駅長さんが「ここには宿はないよ」というではありませんか。「青天の霹靂」とはこんなことを言うのでしょうか。直ぐ近くにある、レストランも付いている観光案内所で近くのホテルを探してもらいました。Admontというこの地方の中心の街には部屋が見つからず、隣の駅の川の向う側という"Zur Bachbruecke"にやっと部屋を見つけました。シャワーもトイレも部屋の外でしたが他の選択肢はありません。朝食付きで21ユーロということで妥協しました。この辺りでは相場のようです。

茂吉が書いたように「渓谷と深潭がこもごもあって」素晴らしい景色です。ただ時代が変わり誰もが広範囲の旅をするようになって、「スイスはもっと凄い」とか「国内でもチロルにこんなところがあったよ」とかいう風潮に耐えられなかったようです。

駅長さんは「冬はスキー(アルペンの意味)ができず、夏山も素人には難しすぎた」と話してくれました。国立公園でいろいろと施設があるにも拘わらず、9月7日からは鉄道はバスに代わります。最後に茂吉の乗った鉄道に間に合ったということでしょうか。

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Admontの教会

最初の夜を過ごしたホテルはゲゾイセの中にあって静かな、美しい場所にありましたが、近くにはスーパーのようなものは何もありません。結局割高になってしまうので、アドモントの町に出ることにしました。ここでもなかなか適当な部屋が見つからず、テンヤワンヤの末にやっとシャワー、トイレつきの部屋が朝食付きで26ユーロ(\140/ユーロで計算して\3,640)で町中に見つかりました。少し私にとっては高い値段ですが、妥協して五泊しました。

アドモントの町はベネディクト派の修道院が中心で、その図書館はあのメルクの図書館に匹敵する規模でした。どちらもベネディクト派の修道院です。修道院といえばKraeuetergarten(薬草園)を思い出しますが、ここの薬草園も小さいが綺麗な花が咲いていました。
  近郊にはFrauenbergの山頂に巡礼教会がありました。エンス川に沿って上流に向い、少し遠回りをしてこの教会を訪れました。この他にも興味深い場所が近くに沢山あるのですが、宿の設備の点で他の地方に遅れをとったようです。

Frauenbergの巡礼教会
Admontの修道院付属図書館

「僕はこの小さな写生文を書こうとおもい、往年の手帳をさぐった。以上のようなことは西暦一九二二年、十二月二七日のくだりに書いてある。簡単に事柄が箇条書にしてあるが、寒冷水を以て少婦四大を洗うなどと書き、その下のところに「探卵患!」と書いてあった。」

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結婚式の風景
その1 その2 その3
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実は私が頭の回転が鈍いのか、この「探卵患」の意味が分かりません。阿川先生も北先生も解説の中でこのエッセイにはまったく触れていません。どなたかこの意味を教えてください。

お断り:渓谷の「渓」の字は原文では、遍がこの字の旁で、旁は「谷」ですが、私のPCでこの字を探せませんでした。他にも当て字にした箇所があります。

2009.10.24 掲載


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