父母ならぬ母母に娘、息子という構成の家族の一騒動。日本では、スパーム・ドナー(精子提供)での子どもがいる家族は、あまり馴染みのないものだが、そこを超えて、家族っていいなあ、と思わせてくれる。
母役のジュリアン・ムーアは「愛とは時間」とコメント。楽しいことばかりでなく、つらいことや悲しいことも、いっしょに重ねていくからこそ、つちかわれていくのが愛なのかもしれない。
脚本にもかかわっているリサ・チョロデンコ監督は、実際に女性のパートナーと、スパーム・ドナーを使い子どもを得て暮らしている。この映画の家族のリアリティは、監督自身の体験によるところも大きそうだ。
ちょうど4月の前半までロンドン・レズビアン&ゲイ映画祭だった。
そこでの試写で毎回思うのが、男性同士、女性同士のカップルの恋愛や生活での悩みや喜びも、男女の恋愛や生活でのそれとたいして違わないということ。なんとなく違うように思っている自分の差別意識に気づかされもする。
この映画の家族にも同じことを思った。
2人の女性は働き手(アネット・ベニング)と主婦(ムーア)とに役割分担されている。その主婦の方が、自分の価値を認められていないというむなしさを感じていることも、騒動の下地にある。男女カップルでも同性カップルでも、日本でもアメリカでも、主婦の思いは共通のようだ。
18歳になり、ドナーが誰かを知る権利が生じた子によって、探し出された父(遺伝子上)として登場するのがマーク・ラファロ。いつもは主役の横にいる人という印象なのが、魅力的な父親を演じていて新鮮だ。大雑把で、いいかげんなところもあるのが、かえって、お父さんの理想像とも思える。
その父への対し方が、娘(ミア・ワシコウスカ)と息子(ジョシュ・ハッチャーソン)に2人の母の4人それぞれ微妙に違うのが、その胸のうちを表わしてもいる。芸達者なムーア、ベニング、ラファロはもちろん、若いワシコウスカとハッチャーソンも細やかに心のゆれを演じている。
奔放なまま、ここまできてしまった男性と、地道に家庭を築いてきた女性カップルを対比しながら、笑いのうちに、ほのぼのと家族愛を見せる秀作だ。
同じスパーム・ドナーを使い得た男女の子(ミア・ワシコウスカ、ジョシュ・ハッチャーソン)もそろそろ巣立っていく年齢に達し、倦怠期を迎えているような女性同士のカップル(ムーア、ベニング)。そんな時に、子らが探し出した、父親であるスパーム・ドナーの男性(ラファロ)は、家族に思いがけない波紋をもたらし…。
監督 リサ・チョロデンコ
出演 ジュリアン・ムーア、アネット・ベニング、マーク・ラファロ ほか
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2011.5.2 掲載
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